年の瀬も越しにくい貧乏所帯なのに、八五郎は今度こそ夢見がいいからと、女房の半纏《はんてん》を質入れして湯島天神へ出向き、夢で鶴が梯子の上に止まったというので、鶴とその寿命の千を入れた「鶴の千八百四十五番」の富くじを求めるが、あいにく売れてしまっている。
ぼやきながら帰りかけると、大道易者に呼び止められ、その夢判断は違う、梯子は登るための道具だから、逆に「鶴の千五百四十八番」にしろと教えられ、神社にとって返し、さいわいに売れ残っていたその札を買う。
間もなくはじまった突き富で、八五郎は千両に当たる。足も空に大金を持ち帰り、驚いた女房と喜び合う。家主方へおもむいて、たまった店賃をきれいに払い、ついでに、「おめでとうございます」には「御慶」、「どうぞお上がりください」には「永日」と答える、貫禄豊かな年始の挨拶を伝授される。
女房に教えられて、名代の古着屋から裃《かみしも》の礼装一式をかい、着付けてみれば大したいでたち、元日の明けるのを待ちかねて年始に回る。家主も熊五郎も辰んべの隣のかみさんも、立派だとほめてくれる。
調子に乗った八五郎、そこへ恵方参りから帰ってきた辰んべたち三人に、「御慶」を用いるが、通じない。じれて、「御慶ったんでい(『御慶』といったんでえ)」とどなれば、「何処《どこ》へ行ってたんでえ」と聞かれたものと思ったらしく、「ああ、恵方参りに行ったんだ」──。
「富突き」「突き富」「千人会《え》」「千人講」「万人講」などの名称もある富くじの催しは、神社・仏閣の修復・再建の費用をまかなうという名目で官許された、いわば公認ギャンブルで、興行は座元が取り仕切り、一回に数千枚から一万枚、一万五千枚、まれには二万枚、三万枚の富札を発行、寺社の販売所(札場)のほかに、特定の取次所、特設のかけ小屋でも売り、店をもたない売り人も扱った。
一組千枚から三千五百枚、雪月花・春夏秋冬・鶴亀松竹・七福神といった数組からなる。くじ札は小型の紙札で、金一分《ぶ》・二朱・一朱・銀七匁《もんめ》五分《ふん》・六匁・二匁五分・一匁八分と値段のちがいがあり、突き札(元札)は駒札や下足札のような木札で、当たり金(賞金)は一番富(一等賞)が千両・五百両・百両と規模の差がある。ちなみに、金一朱の四倍が一分《ぶ》、その四倍が一両、銀十分《ぶん》が一匁、その六十倍が金一両に相当する。
最盛期の文政末年には、毎月興行と年四回興行の寺社を合計して、年間百二十回を数えたというから、三日に一回は江戸のどこかで富突きがおこなわれていたことになる。
『東都歳時記』の絵などで、その盛況を見ることができるが、当然加熱ゆえの弊害もふえる一方だったので、天保十三年(1842)の改革により禁止された。
江戸の三代富といわれた湯島天神・谷中感応寺・目黒不動でも、一番富は百両が普通で、一分売りの千両富など滅多になく、面白みを増すための落語の誇張だと考証されているが、武士出身で江戸時代史の教養のある二代目柳家小さん(禽語楼)は、『御慶』のマクラで、湯島天神の千人講は本当の千両富だったそうだ、それは上野の宮様(輪王寺宮一品親王《りんのうじのみやいっぽんしんのう》)の威光で、ほかの寺社のように山師が絡まず、信用が特に厚かったからだといっている。
古くからあった江戸落語で、『八五郎年始』『富の八五郎』『富八』『千両富』などの題名があり、『御慶』が一般化したのは、昭和になってからだという。
落ちも、二代目小さんは、「手前のなりはなんだ。茶番(滑稽寸劇)の役にでも当たったのか」「なあに、富に当たったんだ」というものだった。これを「どけえ(何処《どこ》へ)行ったんでえ」と聞き間違える「御慶ったんでえ」「恵方参り」にしたのは、大正二年版の速記本から見ると、どうやら三代目小さんらしい。
四代目小さんが継承して、絶品とたたえられるまでに練り上げ、現五代目小さんも十八番としている。「サゲはあまりいいサゲでもないし、後半はどうというところもないが、師匠(四代目)がやると、がらりと夜が明けて元日の朝になる。気分が変わって、ぱァッと元日の感じになる。その辺が聞かせどころでした」と五代目はいうが、五代目も円熟の極みに達し、独走の感があった。牢固たる柳家のお家芸となっていたのである。こうした牙城に志ん朝が挑戦した。
挑戦といっても、よくあるように、劣等感の裏返しの敵対心ばかりが目に付く、破壊的な取り組みではない。代々の小さんのすぐれた工夫は、素直にいいとこどり〈「いいとこどり」に傍点〉でいただいているのは、当然といえば当然のことながら、その上で、随所に独創のギャグを加え、噺の弾みを豊かにし、早くも「志ん朝の『御慶』」といえるものになっている。
見徳《けんとく》という言葉を的確に使っていることに注目したい。これは前兆、予知、判断の手がかり、験《げん》などに使われているが、それらは転義であって、本来は富くじの予想のことだから、この噺に使えば最も生きるわけである。
その見徳をつけた番号が、一足ちがいで売れてしまったと聞いて悔しがるときに、「おれのみた夢、立ち聞きしやがったかな?」とつぶやく。反射的にこんなことを思うところに、この男の無邪気な人柄が出ている。
大金を持ち帰るのに、股引に詰め込みながらいう、「足の入るところにおアシが入る」、わが家へ着いて女房に知らせる前に、見回しながら感慨深げにいう「あらあ、こんなところに住んでいたのかなあ」、古着屋へ出かけるときに、大金の上に布団を置いて突っ伏していろと命じてからさらにいう「人がきたらな、かまわねえから吠えろ」、家主の女房にまで初春の小遣いを出したときに家主がいう「お前にとっては死に金だ。さ、ありがたく頂いときな」など、大いに笑わせられるし、裃を着て踏み台に腰をかけたままで年を越す、落語的に誇大な表現もたのしい。
屋敷の新築さえ容易にできる大金を手にしながら、家賃の十年分の前納ぐらいしか思いつかないほど、貧乏が骨の髄まで染みついてしまっている男の一陽来復を、それが労せずして得た幸せであるにもかかわらず、聞いている私たちまでが、「御慶」と祝ってやりたい気分になる、なんとも明るくたのしい噺である。
Last modified: Sun Apr 21 23:06:00 2002