付き馬

つきうま

 廓の若い衆が妓楼の格子先で男に登楼をすすめるが、男は今夜は遊びではなく用足しに来たのだから、金がないと断る。
 その用事とは伯母が金貸しで、廓の茶屋にも数軒得意先があり、月々取り立てに来ていたのだが、風邪を引いたため頼まれてかわりに来たというのである。
 だから明朝取り立てた金からこちらの勘定を払うのでよければ、遊んでやらないものでもないと、歩み寄りをもちかけられ、若い者は少しためらったものの、みすみす口開けの客を逃すのも惜しく、男を登楼させる。
 盛大に飲み食いし芸者を上げて騒いだ男は、翌朝若い衆の差し出す勘定書を見ても、安い、もてなしがいいと上機嫌で、金を取り立てて渡すからと、若い者を連れ出す。
 相手の茶屋と男が指し示す店は、まだ戸が閉まっていて、寝起きに金の取り立てはいやだというのももっともだし、時間つぶしに一歩きという男に、若い者が供をすると、大門を出た男は朝湯に寄ってさっぱりし、湯銭を立て替えさせて出てから、つぎは朝帰り客のために開いている店に入り、豆腐で迎え酒と朝飯を取った代金も立て替えさせ、ますます上機嫌で歩いて行く。
 浅草観音の境内を抜け、仲見世から雷門を出るに及び、疑念のこうじた若い者はどこまで行くつもりだと、声音も言葉つきも荒くする。しかし男はひるまばこそ、そうした態度をたしなめ、金を調達できるところはいくつもある、ついそこにも伯父の家があるのだが、商売が早桶屋だけに気を悪くされてもと迷っているのだという。
 墓行きがする(果《はか》が行く=ものごとがはかどる)と喜ぶぐらいだと答えれば、その世辞を褒めて、伯父に頼むあいだ待っていろと、大通りの向かい側に立たせる。
 早桶屋へ入った男は、主人に若い者を指して見せ、あれの兄が太った体の上に昨夜腫《は》れの病で死んだので、図抜け大一番の小判型の早桶を作ってやってくれと頼む。
 主人がほかの仕事を後に回しても間に合わせようと答えると、男は若い者を呼び入れて、伯父さんがこしらえてくれるから受け取って帰れと安心させ、煙草を買いにと出て行く。
 若い者が主人ととんちんかんなやりとりをおこなううちに、できあがった早桶を職人が持ち出したので、若い者は色を失ったが、早桶屋もこんな特製はほかに流用できない、材料費だけでも払って持ち帰れと背負わせる。若い者が金がないと悲鳴を上げれば、早桶屋は「おう、奴《やっこ》、吉原《なか》まで馬に行け」──。

 無銭遊興者に対する吉原の方策には、古くは空気と飲食物が入る程度の穴のある桶を逆さに伏せた中に、精算がつくまで閉じこめ、店頭でさらしものにする、桶伏せという過酷な懲らしめもあったが、下ってはつぎのような処分があった。
 二人以上で登楼した場合は、一人を人質として行燈《あんどん》部屋(明治になっては布団部屋)へ入れ、粗食を与えて軟禁する(『居残り佐平次』の段参照)。
 一人で登楼した場合は、この噺のように若い者(男衆)を馬につける。ただし、精算可能と見込んだ客に限る。
 または、馬屋・始末屋という取り立て専門の業者に委託する。馬屋は中見世以上の妓楼、始末屋は小《こ》見世の妓楼を得意としたが、かなり荒っぽい手段もとった。
 付き馬は引き馬ともいう。馬の語源は噺のとおりだが、馬道の語源については、浅草寺にあった馬場へ行く道という説もある。この土地には古代から馬の放牧があり、近世でも十二月中旬に馬市が立ったくらいだから、こちらの方が正しいだろう。
 牛《ぎゅう》(及・牛太郎・妓夫とも)については、「鼻で回る──祝儀《はな》で働き回る」の洒落からきたという説がうなずけるが、中国の花街で、牛車に乗ってくる遊客を引きつけるため、牛の好物の塩を店頭に置いたという、盛塩の起源説も連想される。
 廓噺の傑作で、『早桶屋』の別名もあるが、四代目橘家圓喬(大正元年没)のように『付き馬の付き馬』ともいう。遊蕩に打ち込んで失明した初代柳家小せん(大正八年没)がよかったそうで、六代目三遊亭圓生(昭和五十四年没)が継承していたが、志ん朝の亡き父五代目古今亭志ん生(昭和四十八年没)の十八番でもあった。
 志ん朝はこの志ん生の演出を踏襲し、さらに多くの独創を加え、細部に周到な補強をほどこしている。
 金も持たずに吉原に来たわけを問わせて、大きなお世話だと一度突っぱねておいてから、金貸しの伯母の使いであることを切り出すのだが、その前に、俺が立ち去ってから、なんだあの野郎、調子のいいことをぬかして、ほんとは銭がねえんだろと、思われるのがしゃくだから話すのだがと、もったいをつけるのが憎い。
 千軍万馬の古つわものである牛を引っかけるのだから、このくらい手が込んでいなくてはならない道理で、牛はなお一抹の不安を残しながらもあまりのいい調子に眩惑されてしまう敗勢が、「ええ、お上がりんなるよォ」といううわずった声音によくあらわれている。
 妓楼を出て歩きながら、遊客は女郎の魅力だけに引かれてくるのではないと、店の待遇全体を褒める、お目当ての茶屋の指し示し方をあいまいにする、というしたたかさである。
 朝の仲の町を見渡しての感想も、歓楽つきて哀愁生ずる志ん生流の、やるせない遊蕩美学をよく継いでいるが、その上に、「ごらん、犬。ねえ」と野良犬にまでふれているのがおかしい。
 豆腐を魚に迎え酒を飲むくだりで、「お互いにね、これからいいことがありますように」と杯を上げたり、昨夜の夜の酒を今朝の酒が起こすなどと悦に入ったりする。もうこの辺で、聞き手は完全に乗せられて悪党のひいきになり、その悪行の発展への期待でわくわくする。
 「二人で一本の楊枝《ようじ》なんてのは使いにくい」という無駄口も、ばかばかしくて結構だし、浅草寺の境内での、「遊んだ後、こういう人たち(参詣人)を見ると、なんか後ろめたいね」という所感には、安っぽい勧善懲悪の反省とは違う、蕩児の憂愁といった粋な味わいがある。
 境内から仲見世のこまかい叙景は、小せん流の長所だろうが、鳩の豆売り婆さんのことをしゃべりながら、「あっち見なさい、あっち」とうながすくだりは、疑いと憤りとでそれどころではなくなっている若い者の状態を、あざやかに思い描かせ、「笑ってとくれ、笑いなよ」が笑わせる。
 早桶屋の主人との掛け合い、待たせておいた若い者を呼び入れての立ち去り、不審を差し挟む隙のない快調な運びで、省略も聞いている。
 この噺は、いたずらがどぎつくて後味が悪いという人もあるが、私は全くそうは思わない。悪が実にさわやかである。志ん朝の芸風が、その感じを一層強めもする。


『新選独演会』

Last modified: Sun Apr 21 22:59:51 2002