井伊家家臣柳田格之進は、文武両道に秀でた廉直《れんちょく》な武士だったが、讒言《ざんげん》によって浪人し、若死にの妻に残された娘お絹をつれて江戸へ下り、浅草安倍川町《あべかわちょう》にすむ。
なす事もなく引き籠もっていたが、けなげにも賃縫いで貧乏所帯を支えるお絹にすすめられて、気晴らしに材木町の碁会所へ通い、浅草馬車一丁目の質両替商万屋《よろずや》源兵衛という格好の碁敵《ごがたき》を得て、毎日五分の勝負を楽しむうちに、源兵衛に招かれて万屋へ通い、離れ座敷で碁盤を囲み、酒の振る舞いにもあずかるようになる。
八月十五夜、母屋で店の者とともに月見をした柳田は、源兵衛と離れ座敷へ座を移し、二局ほど戦わせて帰ったが、思いもかけない不祥事が出来《しゅったい》する。
番頭の徳兵衛が、出入りの水戸屋敷から受け取ってきた五十両を、離れ座敷へ届けたのだが、碁に夢中だった源兵衛は、受け取った覚えはあるものの、その後どうなったか分からないのである。
大身代でも五十両は容易ならざる金額、徳兵衛は貧しい柳田に疑いを抱き、あの方に限ってと強く否定する主人には無断で、翌朝安倍川町のわび住まいをおとずれ、もののはずみで持ち帰ったのではないかと問う。
柳田は武士に向かって無礼なと激怒するが、ではお上へ届けるほかはないと立ち去りかける徳兵衛に、身に覚えはないが、金は調達しておくから、翌朝出直せと申し渡す。
徳兵衛が去った後で、柳田は番町の親類宛に手紙をしたため、これを届けがてら久しぶりに泊まりがけで遊んでこいと命じるが、父の決意を悟ったお絹は、自害を思いとどまるようにと制し、自分が廓に身を沈めて金を作るから、親子の縁を切ってくれと頼む。
涙をのんで柳田から調達した金を、翌朝徳兵衛が受け取って帰ると、源兵衛は主《しゅう》思いの主倒しだと出過ぎたふるまいをなじり、二人でわびに駆けつけたが、すでに柳田は退転していた。
その年末の煤掃きで、離れの欄間の額の裏から件《くだん》の五十両が見つかる。勝負の途中で小用に立った源兵衛が、ついそこへ入れたまま忘れてしまったのである。
正月四日、徳兵衛が鳶頭を供に、山の手を年始回りしての帰り、湯島の切り通しで柳田格之進に声をかけられる。身なりが立派なのも道理、故主《こしゅ》に帰参がかない、江戸留守居役に出世していたのだった。
観念して鳶頭を先に帰した徳兵衛が境内の茶屋で真相を告白してわびると、柳田は明日万屋へおもむくから、首を洗って待っていろという。
翌日、柳田を迎えた万屋主従《しゅうじゅう》は、互いにかばい合って罪を一身に負おうとする。その篤情に打たれた柳田は、抜いた刀で床の間の碁盤を真っ二つに斬る。
廓から請け出されてきたお絹も主従を許し、徳兵衛・お絹は万屋の夫婦養子となり、その子が柳田の家督を継ぐ──。
講釈種で、『柳田の堪忍袋』とも『碁盤割り』ともいう。格之進は角之進とも書く。古くから落語に移されて、人情噺に仕立てられていたらしく、明治中期の人情噺の名人、蔵前の大師匠と呼ばれた三代目春風亭柳枝が得意としている。
近くは、五代目古今亭志ん生のほかに、ほとんどやり手がなかったが、一時講釈師に転向して小金井芦風を名乗ったこともあるだけに、講談口調が身についた志ん生の語り口は、彼の八方破れのぞろっぺえといわれた魅力だけを愛する志ん生びいきには意外なほどの、端正な風趣にみちたものだった。
以後、二人の子息、十代目金原亭馬生(昭和五十七年没)と古今亭志ん朝その他が継承している。なお、柳田は藤堂家の家臣、浪宅は浅草東仲町、碁敵は地主の越前屋作左衛門、その手代は九兵衛、紛失の金額は百両、柳田の金子調達は翌々日、娘の名はお花、手代は柳田が帰参した藤堂家の上屋敷へわびに行くというふうに志ん生所演とはかなり部分的に違うやり方もある。
一人娘に賃仕事をさせながら、自分は内職にも手をつけず、碁を打ちに出かけさえする暮らしぶりを、失脚した原因がどうしても思い当たらない鬱屈のためとした状況設定が、まずすばらしい。
いかにも廉直すぎて圭角《けいかく》の多い人物の送りそうな浪人生活であり、おのずと的確な性格描写になっている。
源兵衛が欄間の額の裏に五十両を入れた行為を、商人にとっては神聖な天下の通用金を、不浄な場所(手水場)に持ち込むのをはばかってのこととしているのもうなずける。
忠実な番頭の徳兵衛が、主人の心遣いを踏みにじって柳田宅へおもむくのは、小僧の頃から忠義を尽くしている自分の進言を主人が斥け、昨日今日つき合いはじめた得体の知れない浪人をかばうことの悔しさからとし、やきもちは色恋ばかりではないと語るあたり、人情の機微をうがっている。
娘が父の決意を悟って自害は押しとどめるが、いずれほかから金がでたときには、万屋を討ち果たして武士の面目を立ててくれと願い、「絹は武士の娘でございます」というところでは、寒空に咲く白梅のような武家娘の誇りがかぐわしい。
柳田の退転をなげき出入りの者などにいいつけて、熱心に消息を求めた源兵衛も、去る者日々にうとしで、柳田の身の上を思わないこともあるようになったという経緯の叙述が、善行表彰の人情美談に上滑りしがちなこの噺に、人生のひだをもたせている。
正月四日、湯島の切り通しで徳兵衛が柳田と再会するクライマックスが、さらにいい。小雪のちらつく日暮れの坂道を、駕籠から降りて上がってくる武士の風態は、煤竹《すすだけ》羅紗の長合羽に宗十郎頭巾、渋蛇の目の傘に足駄と、赤坂南部坂における大石内蔵助を思わせるのが味噌で、「柳田格之進だ」と名乗る声音に怨恨の汚濁はいささかもなく、人品骨柄のゆかしさが聞き手の心にしみる。
『井戸の茶碗(茶わん屋敷)』とともに、落語には珍しくすがすがしい士魂をうたいあげた噺だが、よくできすぎていてくすぐったさを多分に含んだ噺でもある。
マクラと締めくくりに、時代の推移による人心の変化を指摘してみたり、徳兵衛が斬られれば一目《ひとめ》上がりになると、万屋の奉公人たちが柳田さがしに勇み立つくだりや、手打ちにされるとおびえる徳兵衛を、そういうことをしたのだから仕方がない、行ってらっしゃいと、鳶頭が袂を分かつくだりに明るい笑いをとったりして、そのくすぐったさを除去したのは志ん朝の豊かな現代性だが、しかも、全編だれもたるみもない緊密な演出で、堂々たる風格の人情噺になっている。
Last modified: Sun Apr 21 22:56:40 2002