搗屋幸兵衛

つきやこうべえ

 人呼んで小言幸兵衛という家主は、毎朝長屋を一回り叱り歩かなければ目覚めが悪いやかまし屋で、男のくせに長々と顔を洗って井戸をふさぐ職人、洗濯にとりまぎれて朝飯を焦がす女房、亭主とは仲がいいのに子供は泣かしてばかりいる女房、泣き癖がついているために止まらない子供、長屋に休みに入ってきては梶棒をおろして邪魔になる人力車夫《くるまや》、重たくて大変そうな大きい髷を結った女房、どこからかきて植木に小便をかけて枯らす犬、降るのか晴れるのかはっきりしない空模様に、いちいち小言をいい回る。
 我が家へ戻ればぼけ加減の婆さんはすぐに茶を入れない、猫の足跡を拭かせれば畳の目なりに雑巾をかけない、裏の戸が開いたまま、釜の蓋が曲がっている。布巾が風で飛んだのを拾わせれば汚れたまま布巾かけにかける、叱れば猫を蹴飛ばす、気の休まる暇もない。
 そこへ訪れたのは、通りがかりに賃家札を見た男で、先約のあるなしを質《ただ》す。口の聞きようも尋常な男の職業が搗米屋《つきごめや》だと聞いて、幸兵衛はお婆さん、座布団《ふとん》を出しな、茶を入れなと、いそいそ男を請《しょう》じ入れ、実は空き店《だな》の前住人はやはり搗米屋だったのだと語り出す。
 私は以前その隣で荒物屋を営み、たいていの品物は自分で作り、よそより安く売ったので、大いに繁盛したところ、向こう横町の源兵衛という親切者が、一人では不自由だろうからと、遠縁の娘を引き合わせてくれた。これが出戻りながら気立てがよく、道楽者の亭主にさんざん泣かされて別れたために、所帯の苦労はいとわないから固い人と添いたいと願っていただけあり、よく働いて亭主を大事にしてくれるので、商いもさらに上向いた。
 しかし、満つれば欠くる世のならい、この女房がふとした風邪からわずらいつき、無理がたたって重くなるのも早く、医者に死期を告げられる。それに気づいた病人が、後にはほかの女は迎えずに私の妹を直してくれと頼み、承知してやると安心してか息を引き取った。しかたなくなく百箇日をすませ、ふたたび源兵衛さんの仲立ちで後添えを迎えたが、これが姉に劣らずやさしくしてくれるので、私は女房運がいいと喜んでいた。
 ところが、しばらくしての後添えが何か気に病む様子に、聞けば、姉は自分から旦那に頼んでおきながら、実は恨んでいるのではないか、毎朝お茶湯《おちゃとう》を上げに仏壇の扉を開くと位牌が後ろ向きになっている。妹は気病みが高じて姉の後を追う。嘆くとも詮なく新しい位牌を作って並べ、翌朝お茶湯を上げに仏壇の扉を開くと、二基とも後ろ向きになっているではないか。腹立たしくも気味悪く、狐狸のいたずらかと夜っぴてにらみつづけたところ、夜中は変わりがなかったが、明け方搗米屋が踏み臼で米搗きをはじめ、ずしんずしんという振動につれて、位牌が回って後ろ向きになった。
 先の女房はともかく、後の女房は位牌の異変を恐れて死んだのだから、搗米屋に殺されたようなもの、いつか搗米屋が越してきたらと待っていた、女房の仇、そこへ直れ──。

 赤穂浪士事件から十年後の小咄本に原型とおぼしい類話があるが、落語化されてからは、現行の『小言幸兵衛』と連続する長い噺で、かなり古くから『小言幸兵衛』として口演されていた。まず訪れるのが搗米屋で、本編の展開があって立ち去る。
 その後へ豆腐屋がたずねてくる行儀作法のたしなみがなく、汚れが禁物の商売柄、いいあんばいに子供がいないなどと不了見なことをいうので、幸兵衛が叱ると怒って出て行く。つぎに来るのが仕立屋で、言葉遣いの丁寧さに、幸兵衛は機嫌良く招じ入れるが、一人息子が男前と聞いてにわかに機嫌を損じ、長屋に心中沙汰が起こるから家は貸せないと断る。長屋の古着屋に器量よしの一人娘がいるので、おまえの息子が越してくれば必ずすぐにただならぬ仲になるが、一人子同士のために双方の親に許されず、添えないのを悲しんで心中の道行きに及ぶと決めてかかるので、仕立屋は閉口して帰る。入れ違いにとび込んできたのは、おそろしく乱暴な男で、頭ごなしにまくし立てるから、「おまえさんの商売は」「鉄砲鍛冶(または花火屋)だ」「道理でぽんぽんいいどおしだ」──。
 こうした長い一席が、搗米屋の段と豆腐屋以後とに別れて二席となり、前者が『搗屋幸兵衛』、後者が『小言幸兵衛』の題名で現在は演じられているわけだが、この分離の経過については常磐津の太夫出身の三代目柳家小さん(昭和五年没)が、道行きに浄瑠璃を入れたりしたために仕立屋のくだりが華やかにふくらんだこと、長さの調整の必要もあって比較的地味な搗米屋のくだりが割愛されたことの影響が挙げられるが、現行の『搗屋幸兵衛』には、志ん朝所演の本編のとおり、「冗談いっちゃいけねえ」の「冗談落ち」といわれる疑似落ちで、本質的には落ちなしに締めるほかに、鉄砲鍛冶(または花火屋)のくだりだけを末尾につけて、「道理でぽんぽんいいどおしだ」と下げる演出もある。
 搗米屋だけの方も、分離後しばらくは『小言幸兵衛』と呼ばれた時期があったりして、二席が紛らわしいために、道行きのある方には、『道行幸兵衛』の呼び分けもついている。
 踏み臼での精米は、軒裏から下がった力綱や前にある手すりにつかまった屈強な男が、先端の槌に重しをつけた太い横杵の後端を踏んでは放し、梃子の作用で土間に埋めてある瓶の玄米をずしんずしんと搗くのである。水車の精米も同様で、この手のゆっくりした臼搗きだと、高速の機械精米のように熱を持たず、搗き上がった米がうまいのだが、単調な力仕事なので、辛抱強い働き者でなければとつとまらなかった。そこから、「頼まれれば越後から米搗きにやってくる」という例えもできているわけで、退屈を救うために、音頭調の作業唄を唄うことも多かった。「鐘が鳴るのかよ、撞木が鳴るかよ」がそれである。
 家主が舌なめずりでもするように相手を招じ入れるのは、『お化け長屋』の最古参店子に似ておもしろいが、このこと小河幸兵衛は決して意地悪な人物に演じられてはならない。
 長屋の家主は所有者ではなく、所有者である地主の家作の管理・差配に従事する、地主の使用人にすぎないが、町奉行を頂点とする江戸の自治組織の末端に位置し、地域の治安や住民の保護に重大な責任を負う町役人《ちょうやくにん》でもあり、「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然」の緊密な関係を保つ、面倒見のいい人物が多かった。責任感が強ければこそ、つい口やかましくもなるのであって、いささかもいじめ症ではないのである。
 志ん朝の幸兵衛は、いかにも暇で話好きな年寄りに造形されているので、「お前さんが搗米屋さんだというからお話をするんだ」と何度も釘を差しては怪談をすすめる息が、その都度引き止められては終いまで聞かされる相手のじりじりした様子とかみ合って、大いに楽しめる。


『新選独演会』

Last modified: Sun Apr 21 22:53:00 2002