小大名杉平柾目之正《まさめのしょう》の家来地武太《じぶた》治部右衛門《じぶえもん》は格別の粗忽者。その粗忽は殿の御意にかなうところだが、幼少の頃よりして物忘れ甚だしく、行く末を案じた親がその都度居敷き(尻)をつねって戒めたために、尻の皮が踵のごとく厚く固く相成っているほどというすさまじさ。
家中に人材もあろうに、よりによってかかる仁が、お使者の大役を仰せつかるとは、御寵愛過ぎてのお戯れか、他のいかなる思し召しか、治部右衛門、疑いもためらいもなく身に余る光栄と勇み立ち、支度もそこそこに赤井御門守邸へ向かうが、別当(馬丁)を「弁当」と呼んだり、乗馬に逆にまたがって首がないととがめたり、早々から大騒ぎ。
口取りの馬丁が沈着だったのか、道中は無事に本郷の赤井邸へ到着、表門で下馬して耳門《くぐり》から入り、玄関式台から御使者の間へ通ったまでは尋常だったが、使者受けの赤井家重役田中三太夫が登場すると、相手の姓名を名乗ってしまったり、挨拶からしどろもどろ。
「して、お使者の御口上は」とたずねられ、「使者の口上は余の議ではござらん」と威儀を正して言い出したが、とたんにつかえて後が出てこない。実直な三太夫が礼儀正しく促してくれるほど、いよいよ空回りする面目なさに、治部右衛門は今はこれまでと観念し、大事出来《しゅったい》、使者の口上をがらり失念つかまつった、武士の面目が立たぬゆえ、この場を借りて一服ではない切腹いたすと言い出したから、三太夫もこれは御短慮な、何とか思い出し召されぬかと問えば、実は身共は幼少よりと悲痛な既往症を告げる。
三太夫は驚きながらも、危急存亡、武士は相身互いとばかりに請け合い、治部右衛門が恐縮しつつ袴をまくって出した居敷きを、武芸の心得豊かな指に力を込めてつねるが、とんと応えませぬ、もそっと手荒に願いたいと、いっこうに通じない模様。困った三太夫は暫時お控えをと下がってきて家臣一同にはかるが、若者は笑い年寄りは苦り切るばかり、お使者は進退窮まったかと見えたが、捨てる神あれば拾う神あり、救い主が現れた。
御作事《おさくじ》に来ていたお出入り大工たちで、この緊急事態を聞きつけると、中のすっとんきょうな留公が、強力な釘抜きの閻魔を用いるという一計を案じ、乱暴でもこの際人助けだと役人衆の溜まりに推参する。打ち込んだ五寸釘でも指先で引き抜くとの自己紹介に、役人一同はこれ屈強と認めたが、お使者のお相手に職人風情では非礼とあり中田留太夫なる武士ににわか仕立て、紋服・袴を着せてともない行き、お使者に目通りさせる。
三太夫を次の間に下がらせて覗き見を禁じた留太夫は、喜び迎えた治部右衛門に袴を脱がせ懐中に忍ばせた釘抜きで、厚く固い尻をくわえてひねり上げる。これはさすがの治部右衛門も尻応えを覚えて、「もそっと、もそっと」とうながし、「やァれ閻魔の子っ」の力みに「思い出してござる」、三太夫、襖をさらり、「して、お使者の御口上は」「聞かずにまいった」──。
民話の『あわて者使い』と似通った、元禄・正徳(1688─1715)ごろの咄本にある古い小咄が、まずは原点であろうが、講釈ではこれも志ん朝所演『粗忽の使者』のマクラに登場する赤穂浪士の武林唯七の逸話となっているところを見ると、武林唯七を愛すべき粗忽者に造形した講釈が、落語の主人公の武家化に作用していると見てよかろう。。
幼少からの精神鍛錬によって冷静沈着であるはずとされ、常に威儀を正している階層の武士だけに粗忽ぶりのおかしさは強いわけで、そこから露呈する人間味も親しみ深い。しかもこの治部右衛門氏は、道化を演じるつもりなど毛頭なく踏厳実直な忠勤の武士であるだけに、その悲劇的な失敗を笑っては気の毒ながら、つい笑ってしまうのである。
すでに幕末まで演じられていたものを、三遊亭圓朝が洗練完成したといわれ、以後は主に二代目三遊亭小圓朝・三代目(俗に初代)三遊亭圓遊・初代三遊亭円右らの三遊派が得意とした。
志ん朝の所演は、三代目三遊亭小圓朝(昭和四十八年没)の系統を引きながら、随所に独自の工夫をほどこしてあるが、なによりも快調なテンポがいい。こうした奇癖は、誇大に戯画化されることが多いので、それを粘っこく悪丁寧に演じては聞き手の方が増幅の過度を意識して、白けたりだれたりする恐れがあり、一つ間違えば健忘症という深刻な心身障害をあざけるような、不本意な結果にもなりかねないからである。志ん朝のはずみのあるスピーディな展開が、その危険を未然に防止するのに役立っていて、治部右衛門のあっぱれなまでの粗忽ぶりに安心して笑うことができる。
後半、脳天気な大工留公の登場に及べば、無類の明るさがみなぎる志ん朝の独擅場《どくせんじょう》で、絶望の極におちいって苦悶するお使者に、義を見てせざるは勇なきなりとばかりに近づき、それでも声をひそめて、「おい、どじ」とたしなめてやる親切ぶりが、すてきにおかしい。さらに、閻魔を使う段になるとにわかに武士の心得など忘れてしまい、職人気質を燃やして「やァれ閻魔の子っ」と力むからうれしくなる。
閻魔と職人の符牒で呼ぶ釘抜きは、親指と人差し指を丸めた形の頭を要越しに二本の柄で開閉する鋏型の道具で、娑婆で嘘をついた亡者は閻魔の庁で舌を引き抜かれるとされるところから出た命名である。五寸・六寸・七寸・八寸・九寸の長さの規格があるが、留太夫の使用したのは最長のものであろう。そんな強力な道具でも、「先がなまってやしねえか」と心配になるほどとは、大変な厚さ固さだが、正直一途なのに閻魔でしたならぬ尻をつままれる憂き目にあうのだから、げにすまじきものは宮仕えではある。
三代目小圓朝では、「ああ、あ、屋敷を出る折り聞かずに参じました」、三遊亭圓遊に至っては「よく考えてみましたら、屋敷を出る折り聞かずに参じましてございます」と長たらしくなっていたサゲ(落ち)を、「聞かずにまいった」と短く詰めた切れ味のいい急降下も、後味をより楽しくさせている。
Last modified: Sun Apr 21 22:43:46 2002