芝浜

しばはま

 店を持たない担ぎ商い、いわゆる棒手振《ぼてふ》りの魚屋の熊五郎は、商いの途中でも飲み始めるととまらない酒好きのために、足の速い商品を変質させたりして、得意先を次々に失い、すっかり荒《すさ》んでいる。
 ある朝、女房に哀願されて渋々起きた熊公が、文句たらたら芝の魚河岸へ買い出しに行ったあと、長火鉢によりかかった女房が、気のゆるみでうとうとしていると、戸を激しくたたいて、熊公がとび込んでくる。
 追いかけてくる者はないか、戸に心張り棒をかえというので、喧嘩でもしてきたのかと思えば、熊公は女房が時刻を間違えて起こしたことを叱ってから、ことの次第を語る。
 芝の浜に着いても夜が明けず、問屋は軒並み閉まっている。しかたなく盤台《はんだい》をおろし、渡した天秤棒に腰をかけ煙草を吸っているうちに、日は昇ってきたが眠気が出て困るので、波打ち際で顔を洗い浜に上がろうとすると、足にからみつく紐がある。
 たぐり寄せてみれば革の財布で、ずっしりと重い。あわてて腹掛けのどんぶりに突っ込み、空の盤台を担いで走り詰めに帰ってきたのだという。
 革の財布の中身は、なんと二分金《にぶきん》で五十両もあった。おれにも運が向いてきた、不幸せ続きを哀れんだ神様が授けてくれたのだ、これからは面白おかしく暮らせると、熊公は大喜び、拾いものであるからには落とし主があるはず、届けなければという女房の心配を、かまうものかとはねつけ、昨夜の酒の飲み残しを飲んで寝る。
 その後また女房は揺り起こし、河岸へ行ってくれと頼むが、熊公は一笑に付して朝湯へ行き親しい連中を連れ帰って、めでたいことがある身祝いだとすこぶる上機嫌、酒は届く、誂えの仕出し料理は出来てくる。
 友達は趣旨は知らないながら、「いいじゃねえか。めでてえってことは、めでたくねえよりめでてえんだから」と、盛大に飲み食いして立ち去る。
 酔いつぶれた熊公は、やがて酔い覚めの水を飲んで、いい酒だったと余韻を楽しむが、女房はどんなめでたいことがあったのだ、これだけの支払いをどうする気なのかと浮かぬ顔である。今朝渡した五十両があるではないかといえば、そんなものは知らないとの答え。はじめは、ぎる《横領する》なら少しにしておけ、そっくりはひどいなどと余裕のある亭主ぶりを見せていた熊公も、否定しとおす女房の態度に、次第に自信を失って行く。
 芝の浜へ行きなどしなかった、朝早く起こしたところ、ぐずぐずしながらまた寝入り、つぎに起こしたら銭湯へ出かけ、友達を大勢連れて帰って、大盤振舞いで酔いつぶれたあげく、今起きたのだという。
 では芝浜へ行って革財布を拾ったのは夢で、友達を連れて帰って祝い酒を飲んだのが現《うつつ》なのかと、さすがの熊五郎も色を失った。
 酒ばかり飲んで、金が欲しいなどと考えているから、そんなあさましい夢を見るのだといわれれば、もはや返す言葉もない。座り直して女房に詫び、この場だけはなんとかしてくれと頼んだ熊五郎は、一念発起、ぴたりと酒を止めて働きだした。
 もともと腕はいいし機転は利く。すぐに信用は回復し、離れた得意先も戻った上に増えて三年目、借金はなく蓄えはあり、春の支度もできているという景気のいい大晦日の晩、湯から帰ってみれば、畳まですっかり新しくなっている。
 女房は古い方がいいと福茶を飲みながら、人間働かなくてはいけないと感慨をもらすと、女房が見覚えのある古い革財布を取り出し、あければ中身は二分金で五十両、実は三年前に芝浜で拾ったものなのだという。
 拾った金を猫ばばすれば、隠し通せるものではなく、必ず発覚して重いおとがめがある。思いあぐねて家主に相談したら、お上には俺が届けてやる、お前は亭主を夢だと思わせてしまえといわれその通りにしたところ、さいわい性根を入れ替えて稼いでくれたために家計はすぐに楽になり、一年目には例の金も落とし主不明で下げ渡されたが、ここで気を緩められてはと我慢して隠し通してきたのだった。
 この上は打つなと蹴るなとしておくれと両手をついて詫びる女房に、熊五郎は襟を正して礼をいう。女房はほっとして、もう昔に戻る心配はないしめでたい年越しでもあるからと、支度してあった酒をすすめる。
 おりから鳴り出した除夜の鐘の音を聞きながら、湯飲みになみなみとついだ冷や酒を口へ運んだが、熊公はぽつりと呟いた。
 「よそう。また夢になるといけねえ」──。

 芝浜は現在の新橋から田町辺までの浜の総称で、志ん朝のいうとおり、近海物の小魚を主に扱う魚問屋が並び、夕河岸もたった。『江戸名所図絵』に「この地を雑魚場《ざこば》と号《なず》け、漁猟の地たり。この海より産するを、芝肴《しばざかな》と称して、都下に賞せり」とあり、芝浦の汐場《しおば》とも呼ぶ。
 この噺は、三遊亭圓朝が「酔っぱらい」「芝浜」「革財布」でつくった三題噺だとされているが、作品の形が残っているわけではなく、疑問視されている。
 芝浦で商売をしていた魚屋が、金杉通りで金二両を拾い、添えてあった証文の名書きを頼りに、八王子の落とし主まで届けてやり、数日後にまた十両を別の場所で拾ったが、今度は落とし主がわからず、町役人を通じて奉行所へ届けたところ、奉行所の触れに対しても名乗り出る者がなかったので、正直と孝心のほうびに下賜されたという実話が、享保年間(1716─35)刊行の随筆にあり、関根黙庵『講談落語今昔譚』は、これが原本と考証しているが、似たような実話は、当時ほかにもあったにちがいない。
 落ちがついているから、厳密にいえば人情噺ではなく、人情噺風の落とし噺だが、実際には人情噺の大作ともてはやされ、大正中期には、六代目尾上菊五郎が市村座作者竹紫金作の脚色で劇化、以後の役者もしばしば手がけている。
 その都度主演者の注文で改訂され、いまだに定本がないに等しいくらいの凡作であるにもかかわらず、上演の頻度が高いのは、物語の後味がいい上に、江戸前の生世話《きぜわ》ものの写実芸が楽しめるからだろう。
 噺の畑では、三代目三遊亭圓生・四代目圓生・四代目橘家圓喬・二代目三遊亭金馬・初代三遊亭圓右・初代柳亭(談洲楼)燕枝・・四代目柳家小さんらによって磨きをかけられている。
 四代目柳家つばめ(昭和三十六年没)から習った三代目桂三木助(同年没)が洗練に洗練を重ね、昭和二十九年度の芸術祭奨励賞を受賞、以後独擅場の観を呈し、絶品とまでうたわれた。
 瀕死の床で、現五代目柳家小さんに、自分の『芝浜』を覚えて後輩に教えてやってくれと頼んだそうだから、当人としても一番得意で好きな演目だったのだろう。
 八代目桂文楽も手がけ、昭和四年刊行の騒人社版『名作落語全集』にも載っているが、六代目三遊亭圓生や三木助・小さんらが文楽の家に集まり、稽古に励む会があったころ、文楽の演じた『芝浜』に対して、思いがけない大金を手にした衝撃に真実感が足りないと、プロ級の博奕打ちで荒んでいた自分の体験を踏まえて、三木助が手厳しくだめ出しをしたという逸話からも自信のほどがうかがえる。
 三木助は以前この噺が大嫌いで、他人の所演も聞きたくなかったのをつばめの懇望でいやいや習い始めたら、俄然おもしろくなって打ち込めたそうだが、それも主人公が酒を断つ動機が、自分が博奕をやめたときの自己嫌悪と共通していたためだという。
 さらには、演目の圧倒的な豊富さを誇っていた、あの六代目三遊亭圓生の演目に入っていない(雑誌『落語界』第二十五号の山本進氏稿の総覧による)のである。あの自信満々たる、またゆくとして可ならざるはなかった圓生さえもが、競合比較の事前回避をおこなっていたと見ていい。
 それほどの極めつきに、志ん朝がいどんだ。
 女房が熊五郎を送り出して、うとうとしているところへ、小刻みに戸をたたく音がする。この切迫した息がまずいい。状況の急展開に聞き手は緊張する。
 三木助演出では、亭主(名は勝五郎)が芝浜へ行って日の出を迎え、革財布を拾って駆け戻るくだりを、たっぷりと叙述する。潮風の香、あけてゆく空の色合い、帰ってくる帆掛け船などの描写が克明で、それが名人芸とうたわれたのだが、志ん朝はこのくだりを語っていない。
 今村信雄著『落語の世界』にある四代目小さんの芸談では、演者の腕はここらに表せるのだから、ここを略してしまっては、この落語をやる甲斐がないといっているが、文楽が習ったつばめの先代で、三代目小さんの門人だった三代目つばめの速記(大正五年刊行)では、やはりカットしてあるし、二代目金馬の速記(同年刊行)でも、同様に飛ばしている。
 大金を拾って帰り、気も動転している者が、女房にこれこれと順だってものがたり出来るはずはないという、四代目小さんの指摘も確かに一理はあるが、このくだりを亭主の事後報告だけにとどめるのは、いわば間接話法の感覚で、聞き手と事件との間に薄い膜をおいたような効果を生じ、女房が夢だったのだといいくるめる上でも、それだけ説得力を持つのである。
 三題噺の成立条件から来る、やむを得ないつぎはぎやこじつけを改善する合理性もあるというもので、演出の総合的な優劣は、にわかに断じがたいとしても、志ん朝がこのくだりを割愛したのは、当面決してマイナスではないといっていい。
 逆に三木助は、また起こされて朝湯へ行き、友達を連れ帰って振る舞うくだりを抜き、女房の事後報告にしているが、志ん朝は場面として表へ出している。
 つまり、三木助の運びでは、また起こされるところが、二回目を飛ばして三回目になっているのに対し、志ん朝の運びでは二回目になっているのだが、ここを克明に描くことは、大金を拾ったのが夢で、散財したのが現《うつつ》だという女房の説得を、なお力強いものにするのに役立っている。
 聞き手の印象の中で、芝浜の場面が薄く、散財の場面が濃くなるわけであり、すぐれた演出の計算だといえるだろう。
 二代目金馬系の構成だが、金馬や文楽よりも祝い酒のくだりが詳しく、若い衆の寄り合いの活況もあふれて、めでたい気分がわっと盛り上がる。志ん朝の明るい芸風がよくきいていて楽しい。
 つぎに、もっとも腕のいる女房のいいくるめのくだりが、実にすぐれている。熊五郎が次第にひるんで行くのを、女房がかさにかかって攻め立て、「わかったでしょ?起こしたらば湯に行ったの。友達ひっぱってきて飲んだの。寝てあたしが起こしたの。(芝浜へは)どこで行ったの?いつ行ったの?え?」とたたみ込んでいく息のよさ、いささかのたるみもない。見事なものである。
 熊五郎が決定的なダメージを受けてから、むしろ静かな口調になって、「お前さん、夢でも見たね?」というのもうまい。頭から夢を見たのだとぶっくらわせては、反発が強くて、とても攻略できなくなってしまう。
 たたみ込んでいった末に、夢を見たのだろうと結論づけるから、すうっと説得されてしまうのであり、のちに熊五郎が述懐する、たまらない自己嫌悪から生まれ変わる決意をしたという心理も、深くうなずけるのである。
 大晦日の晩、目の前に革財布を出されて、女房の告白をきいた熊五郎が、短い沈黙があって、「お手をお上げなすって」というのがまたすこぶるいい。
 こんなときにもふざけようとせずにはいられないシャイネスと、にもかかわらず確実に神妙にもなる素直さと同居している江戸気質が、この一言の声音《こわね》と言い回しにきらりと光っている。ぎゃあぎゃあと派手に感謝を表明するよりも、ずっと強くこちらの胸に感動がしみ込む。人情賛歌が帯びがちのべとついた甘さをも抜いてあって救われる。
 新しい畳の上ですする福茶(漬け小梅と黒豆と山椒の三味を入れて煮た茶)を、「フクジャ」と正しく濁って発音しているのも、志ん朝の教養が高いからである。


『新選独演会』

Last modified: Sun Apr 21 22:39:43 2002