船徳

ふなとく

 大家《たいけ》を勘当された跡取り息子が、懇意の船宿に居候をするうちに、小舟乗りの粋な姿にあこがれ、船頭になりたいと言いだし、親方が止めても聞かず、他の船頭たちにひろめをしたいという。
 河岸にいた船頭たちは、親方が呼んでいるというのを聞き、あの件での小言だろうと、親方に無断で新造船を乗り回し、橋桁にぶつけて舳先を壊したのを、船大工へ回さずに荒縄を巻いてごまかしてあることや、みんなが出払っているところへ、天ぷらそばの出前が届いたのを、注文した覚えもないのに、のびてもいけないと平らげ、隣家のまちがいだとわかると、丼を隣家の台所口において、知らん顔をしていたことなど、日ごろのいたずらに思い当たる。
 兄い株はいい間のふりで、親方の前へ出ると、問わず語りに述べ立て、許してやってくれととりなし、ちっとも知らなかったと、やぶへびで叱られる。
 若旦那の意向を知ると、調子がいいから女の子に騒がれるだろう、「ちきしょうめ、音羽屋!」などとおだてたり、船頭になるからには呼びつけにしてくれと望まれると、普段小遣いをもらっているからできないと尻込みしたり、新米なのだから当たり前、やってみるから聞けと威張ったものの「徳やい」のあとですぐ「御免なさい」と謝ったり、にぎやかなこと。
 「竿は三年、櫓は三月」というが、三月も稽古をしたのか、浅草観音の四万六千日のにぎわいで、他の船頭はもとより親方まで出払った日盛り、徳三郎が柱に寄りかかって船をこいでいるところへ、二人連れの客が来る。
 女将はおあいにくさまと詫びるが、馴染みの客は船嫌いの友達を無理に誘ったのだから出してくれ、船頭もいるではないかと、徳三郎を指さすので断りきれない。乗せて行くことになったが、徳三郎は客を船に待たせて髭をあたるやら、もやいも解かず水竿《みざお》を突っ張るやら、やっと出たと思えば水竿を流してしまうやら、船が先へ進まずにぐるぐる回るやら。
 「竹屋のおじさぁん」と土手の人に声をかければ、「だいじょうぶかい!」と驚きの叫びが返ってくる。船が石垣に寄ってしまい、若旦那に強請されてされて日傘代用のこうもり傘を突き立てれば、石垣の間にはさまったまま遠ざかる。
 桟橋を目前にしながら、若旦那はへたばり、汗が目に入って見えないから、前方から船が来たらよけてくれと弱音を吐くばかりか、降りてくれと櫓を放してしまう。船好きが詫びながら友達を背負い、水に入ってどうやら桟橋に上がると、船にひっくり返った若旦那が、「船頭一人やとって下さい」──。

 初代古今亭志ん生(安政三年没)作の人情噺「お初徳兵衛浮名桟橋《うきなのさんばし》」が原型である。この人情噺は近松門左衛門の浄瑠璃『曽根崎心中』から人名はとっているが、環境設定も物語展開もまったく違う。
 勘当されて船頭になった徳兵衛が、ある日芸者のお初を乗せて行く途中、夕立に見舞われて首尾の松に船をもやい、雨止みを待つうちに、幼なじみのなつかしさから恋仲となり、お初に横恋慕する油屋の九兵衛の奸計に妨げられ、ついに心中に到ってしまうというもので、四代目橘家圓喬(大正元年没)の『文芸倶楽部』明治三十三年九月号と四十五年四月号における速記に残っている。
 この人情噺の発端を独立させ、一席の落とし噺に仕立てたのは、三代目三遊亭圓遊(俗に初代──明治四十年没)だが、このあんばいでは向島まで流されそうだと徳が音を上げ、たまるものかと怒る客に、そのうちには助け船がきましょうと答えるのが結びで、これが現行の形の落ちになったのが、三代目柳家小さん(昭和五年没)のころからと見られる。
 以後は八代目桂文楽(昭和四十六年没)が洗練し、「四万六千日、お暑い盛りでございます」の一行で、土埃《つちぼこり》の白く舞う炎天下をぴたりと表現した芸力が絶賛され、専売特許の観があった。
 人情噺の圓喬型は、五代目古今亭志ん生(昭和四十八年没)が継承し、十代目金原亭馬生(昭和五十七年没)が踏襲していたが、志ん朝は落とし噺の圓遊型にのっとり、文楽演出を踏まえて、独自の境地を形成すべくつとめている。
 かなり自信があるかして、すでに昭和四十九年版の角川文庫「古典落語」に収録してあるが、それよりこのライブの演出と話芸が格段に成長していることは、いうまでもない。
 船宿は通行客の運送はもとより、遊里への案内、男女の密会、小規模の宴会などにも奉仕した職業で、最盛期の文化年間には、江戸中で六百余軒を数えた。ほかに釣り・運送専門のものもあり、これが現在も存続しているが、前者は待合の前身になっている。
 はじめに、若旦那が意志を表示するくだりで、文楽演出は、親方からくぶらぶらしていては身のためにならない、何かやったらどうだとうながすのに答える形だが、志ん朝演出は、のっけから親方を振り切る形で主張する。
 そして、算盤をはじいて金儲けに没入している商人《あきんど》はさもしくていやだなどという。今日の大をなした父祖の粒々辛苦《りゅうりゅうしんく》を知らない、知りたがらない、若旦那気質というものがよく出ている。
 船を出そうと水竿を突っ張るとき、係留のままであることを客が指摘するのに、「つないである」といい、それを肯定する若旦那の方が「もやってある」という。
 「舫《もや》う」という動詞が通じにくい時代になった。わからせる必要がある。だからといって、通じればいい、わかりやすければいいでは、話芸もなにもあったものではなく、「もやう」という船に不可欠な言葉は生かしておきたい。そこから出てきた工夫だろう。志ん朝の話芸家としての器量の深さとプロ意識の高さを、うかがうことができる。
 小股の切れ上がった女が川端を行くのに目を止め、気を引こうとして、新内か清元のようなカン声を張り上げかけ、「はあァァァ……野郎がいっしょだよ。ばかだね」と自嘲する。ここは志ん朝の創作と思われるが、実にいい。
 苦労知らずのいい気でありながらも、いわゆる田舎大尽の徹底的自己肯定とは違い、自己嫌悪も疎外意識も持っている、大都会の若旦那の感覚が、濃縮されて爆発する。
 「うるさいね!」と叱ったり、「もうやだ、もう」とすねたり、文楽演出より総体にやんちゃだが、そのやんちゃぶりが、ほかの若旦那噺になくはない、人権観念の発達した現代人には不快と映る横暴さと、微妙な一線を画しているのも、志ん朝の人徳というものだろう。


『新選独演会』

Last modified: Sun Apr 21 22:32:03 2002