日本橋の田所町《たどころちょう》の日向屋半兵衛は、地主で商売も繁盛しているのだが、ただ一つの悩みは、一人息子の時次郎が堅すぎることで、商人にはつき合いが大切とさとす一方、裏から手を回して、町内の遊び人源兵衛・太助に遊里指南を頼む。
二人に浅草観音裏の霊験あらたかな稲荷への参詣を誘われた時次郎が、父親に許可を求めると、父親は喜んで許し、一晩おこもりをしてこい、服装《なり》が悪くては御利益が薄い、お賽銭も沢山もっていけ、途中で一杯飲む中つぎでは、手を鳴らして勘定を申しつけたりせず、便所《はばかり》へ行くふりで裏梯子を降り、払うようにしろ、などと教えて送り出す。
中つぎ、吉原土手、見返り柳を過ぎて、大門をくぐると、源兵衛が一足先に引き手茶屋に、今夜の趣向を含ませる。稲荷の巫女の家だと紹介された時次郎が丁寧に挨拶するので、女将は笑いをこらえるのに苦しみ、早々に妓楼《みせ》へ送り込む。
妓楼の梯子段を上がり、二階廊下を歩く女郎の姿を見れば、いかな堅物でも色里であることはわかる。帰してくれと駄々をこね、源兵衛がなだめすかしても承知しない。太助は逆手に出て、三人連れで来ながら、一人だけ先に帰ろうとすれば、大門で止められるのが廓の規則なのだと脅す。
酒盛りになっても、時次郎はめそめそし「女郎なんか買うってぇと瘡《かさ》ァかきます(性病になる)から!」などといい、座敷が白け返るので、やり手たちが手取り足取り、浦里おいらんの本部屋へ押し込んでしまう。
源兵衛・太助はやけのがぶ飲みで、さて一夜が明け、二日酔いで昨夜の不首尾をこぼしたが、駄々っ子は帰ったと思いきや、なんと収まっているという。
冗談じゃねえと二人が行ってみると、時次郎はぬくぬくと浦里と同衾で、極上の首尾らしい。中っ原で先に帰るという二人に、「あなた方、先に帰れるものなら帰って御覧なさい。大門で止められます」──。
昭和六年(1769)七月三日、公儀御賄《おまかない》方役人伊藤伊佐衛門の倅《せがれ》伊之助(二十一歳)と、新吉原京町二丁目妓楼抱え三好野《みよしの》(二十四歳)が心中した事件をモデルとして、三年後の安永元年、初代鶴賀若狭掾《わかさのじょう》が作ったのが新内節の名作『明烏夢泡雪《あけがらすゆめのあわゆき》』
山名屋の浦里は、春日屋の時次郎と深間《ふかま》になって、逢瀬を重ねるうち、金につまって時次郎は登楼をこばまれ、浦里はほかの客をとらない罪を雪の庭で責められるが、時次郎が救いに忍び込み、禿《かむろ》のみどりと二人で、塀を越えようとする。しかも、それも居続けの床に結んだ夢で、
(唄)ひらりと飛ぶかと見し夢は、さめてあとなく明烏、のちのうわさや残るらん」
と、めでたしめでたしになる。
たわいもない陳腐な節だが、
(唄)たとえこの身は泡雪と、ともに消ゆるもいとわぬが」
などの節づけが、情緒纏綿《てんめん》のきわみ、傷心断腸の至りで一世を風靡し、のちに、新内節中興の祖初代富士松魯中によって、『明烏后正夢《あけがらすのちのまさゆめ》』という道行の佳編が作られたばかりか、草双紙・世話講釈・清元節・義太夫節、そして芝居にもなった。
落語『明烏』は、そうした大ヒットのメロドラマのパロディで、そもそもの形は、新内節の道行の外題をそのままもらった『明烏后正夢』という長編の人情噺だが、、その発端のなれそめを一席ものに独立させ、これに落ちをつけたのが、現行形の落語である。
初代春風亭柳枝(慶応四年没)のあとは、三代目柳枝(明治三十三年没)・初代柳家小せん(大正八年没)・三代目三遊亭圓馬(昭和二十年没)らが名演を残しているが、この圓馬の芸統が、八代目桂文楽(昭和四十六年没)に伝わった。
文楽の翁家馬之助時代には、高座へ上がると、『明烏!』『明烏!』と注文の声がかかり、ほかのものは演らせてもらえなかったほどだという。この馬之助時代というのが、大正六年から九年にかけてなのだから、以後なんと半世紀も、「文楽の『明烏』」という専売がつづいたことになる。
この録音は「志ん朝七夜」十七席連続口演におけるライブだが、客の人気投票で断然トップを占めた。昭和最高の名人の誉れを得た文楽の、しかも最高の傑作とうたわれた『明烏』を、すっかり自分のものにしたばかりか、最高の人気演目にさえしてしまったところに、志ん朝の実力の大きさを見るべきである。
切り出しは、町内の稲荷祭から帰ってきた時次郎を、
「はい、お帰んなさい」
と、父親が迎えるところからなのが文楽流だが、志ん朝流では父親が母親を相手に倅の堅すぎるのを案じているところへ、時次郎が帰ってくる。これは初代小せんなどの導入だが、志ん朝はあとはおおむね文楽流に近い。
ただし、中つぎ、吉原土手、見返り柳と快調に運んできて、
「たいがいの者はここまでくりゃ気がつくよ。(略)なるほど堅いや」
と、指南番に嘆声を上げさせるのは、文楽にはない工夫で、状況設定がいくらなんでも過度だと、聞き手が感じて白けそうになる危険を、見事に防いでいる。
つぎに、妓楼の二階でじぶくる時次郎を、先に帰ったら大門で止められるとおどかすくだりでは、源兵衛が「なあ、おい?」と同意を求めると、太助が「そうさあ!」と即座に受ける文楽流に対して、源兵衛が躍起になって同意を求めた末に、太助がようやく分かって「ああ!」と受けるのが、実におかしい。
手取り足取り本部屋へ押し込まれる時次郎の悲鳴に到って、志ん朝の面白さは爆発的に燃焼する。
明くる朝でも、文楽が絶賛を博した甘納豆をなぞらえず、二日酔いにきくし、歓楽つきて哀愁生じた翌朝にうつりのいい梅干しにした知恵をほめたい。
最後のしどころでは、文楽の、
「あたしの手をぐっと押さえて」
よりも以前のポルノ風に少し戻して、
「足であたしのことをぎゅっと押さえてんですよ」
としているのが、それだけでなく、つづいて、
「苦しくって──」
文字で採録すれば、たいしたこともないようだが、お聞きのように、声音と言い回しのセクシャルなことといったら素晴しく、この一言で、濃厚な寝床の匂いさえただよってくる。
Last modified: Sun Apr 21 22:31:44 2002