上方の『鳥屋坊主』という噺を、東京へ持って来たものと言われていますが、東京へ来たのはかなり古いようです。明治二十三年一月に出た雑誌『百花園』十七号に、二代目小さんの速記が載っています。
この速記は、『鳥屋坊主』や現行の『万金丹』と違って、二人が旅をして坊主になるのではなく、道楽をし尽くした一人の男が、山寺で坊主になっているという『こんにゃく問答』に近い設定です。後半は現行と同じで、「そばに白湯《さゆ》にて用ゆべしとございますわ」「ム、この仏に茶湯《ちゃとう》は無用だ」とサゲています。
明治四十三年四月に出た雑誌『文芸倶楽部』第十六巻第六号に、載った三代目蝶花楼馬楽《ちょうかろうばらく》の速記だと、ぐっと現行に近くなり、二人で旅をして、坊主になる型です。サゲは「この仏に茶湯はいらねえ」で、二代目小さんと同じです。してみると、もともと江戸・東京にあった噺に、明治の末に上方の『鳥屋坊主』が加わって、現在の型が出来たのではないでしょうか。
小さんの師匠である四代目小さんも、この噺を得意にしていました。サゲは馬楽のと、もう一つ「食物一切差し支えなしてんだから、改めて精進には及ばない」というのと、二通りやっていたそうです。
小さんは、四代目のを聞き覚えてやっています。サゲも、二代目以来の伝統あるものを使っています。サゲにはこのほか、「白湯にて用ゆべしとありますが」「仏が川にはまって死んだんだから、水にはこりている」というのもあります。
これも元来は上方の噺で、サゲは無実の罪を負わされた猫が、神棚の前に座って「悪事災ニャン(難)逃らせたまえ」というものでした。このサゲは現在でも上方で使われています。
小さんのやっている「隣へ行って猫にわびをしてくれ」というサゲは、三代目小さんが東京へ持って来てから変えられたものです。変えたのは、三代目か四代目かはっきりしませんが、こちらのほうが落語のサゲらしいと一般に言われています。
活字本で読んだり、あるいは小さんの演じるのを聴いた場合は、確かに東京のサゲのほうが優れていると思いますが、しかし上方の、例えば六代目笑福亭松鶴《しょうふくていしょかく》が「悪事災ニャン逃らせたまえ」とやっているのを聴くと、いかにも上方落語らしい言葉の響きがあって捨て難いものがあります。だから「猫にわびをしてくれ」は、東京らしいサゲと言うべきでしょう。
小さん代々に伝わるこの噺は、六代目三遊亭圓生の得意にした『一人酒盛』に匹敵するもので、どちらも一人で酒を飲んでしまう噺です。ただ『一人酒盛』に比べると、肴を買いに行ったり帰って来たり、酒をこぼしたり、いろいろ変化があるので、やりやすい噺と言えるでしょう。
小さんのこの噺のいいところは、酒を全部飲みほしてから、友達が帰ってくるまでの間で「夜桜や……」とか「浮かれがらす……」などと小唄を歌って、「あ、そうだ、浮かれちゃいられないんだ」と出刃包丁を構えたあたりから、帰って来たなと思って出刃包丁を振り上げたが、通り過ぎちまって「郵便屋かな」と言うあたりだと思います。小唄は小さんが工夫して入れたので、四代目にはありませんでした。「郵便屋かな」のクスグリは四代目ゆずりですが、最近あまり受けなくなりました。郵便受けがなくなると困りますが、これも時代の流れでしょうか。
これも元来は上方の噺で、万延二(1861)年の上方のネタ帳『風流昔噺』に、すでに載っていますから、かなり古いものです。
東京へは、四代目小さんが持って来て、小三治時代から高座にかけていました。小さんは、それを聴いて覚えたのです。
上方のサゲは、夏だけ養子に行くのを休ませてほしいと言うと、なぜだときかれる。「暑い時分に蚊が出るよって、蚊帳《かや》吊りますやろう」「そら吊るわ」「首の出入りに、蚊が入ってしょうがおまへんがな」というものです。現在は桂文治が、このサゲでやっています。
四代目小さんは「おふくろは、うまく納まってくれればいいがと、いい便りが聞けるのを首を長くして待っている」「そりゃ大変だ。家へも帰れねえ」「どうして」「おふくろもろくろっ首かも知れない」と、変えてやっていました。小さんはそれを「家へも帰れねえ」で切っています。このほうがすっきりしています。三代目桂三木助も、この噺を大阪で覚えてやっていましたが、サゲは伯父さんの言葉で「そんなことを言わねえでお屋敷へ帰りな。お嬢さんが首を長くして待ってる」としていました。
小さんは、ばあやさんという人物の人柄を出すのに気を使っているそうです。ろくろっ首という言葉も分かりにくくなり、行灯《あんどん》の油をなめるといっても、行灯すら知らない人が多くなったこのごろでは、この噺もやりにくくなりました。
Last modified: Fri May 3 00:10:04 2002