第五回講義

『落語の世界 ── 三道楽』

柳家小満ん

 落語は土台、男の世界であるが、男がのめり込む道楽を大別すると、飲む(酒)、打つ(博奕)、買う(女)、の三通りとなる。
 それぞれに小咄などを添えて、戯言《ざれごと》をのべてみよう。
 まずは酒であるが、“酒は百薬の長”とくれば、酒飲みのお念仏みたいなものだ。満太郎の句にも〔豆腐屋や持薬の酒の二三杯〕とあったと思うが、一杯が二杯三杯四杯……となって、「円がどうした、アメリカがなんだ、橋本を呼べ!」てなことになるのも酒です。
 わが堀口大學先生曰く、
 〔酔ひどれは神や佛にあらねども神や佛に似るが悲しき〕
 さて小咄だが、獄門に架かった首が、通り掛かった酒売りに、「これ、酒売りどの、その酒をたもれ」。酒売り、ぶるぶるもので、「へいへい、お安い御用です」と、茶わんに一杯呑ませてやると、獄門の首が舌打ちをして、「ああ旨い、とてもの事に、額を一ッ叩いて下され」
 次に、博奕の小咄を、雅やかに……。柿本人麿邸で歌の会があり、猿丸太夫、紀貫之、喜撰《きせん》法師が出席をした。供人《ともびと》の一人が、女中部屋を除くと、「私は業平《なりひら》さまに身をつくしても逢わんとぞ思いまするが、あちら様ではまだ文も見ず天《あま》の橋立、ほんに焦れっとうございます」「それは気の毒、いづくも同じ秋の夕暮れでございまするな」
 さすが人麿様のお屋敷だと、中間部屋を覗くと、大勢で車座になって、壺皿を振り、「長歌、短歌」(丁か、半か)
 ところで、サイコロ博奕を編み出したのはお釈迦様だそうで、博奕で人を集めて、その合間にお説教をしたというのだが……、信じてはもらえまい。然るが故に、“胴(堂)を取る”者がいて、取った銭を“テラ(寺)銭”、すっかり取られて、“おシャカ(釈迦)になった”と云うそうだが……、やっぱり信じてはもらえまい。
 最後に、買う方だが、天下御免の遊郭“吉原”へご案内だ。
 〔日本を八丁行くと仙女界〕。吉原への道は幾つかあったが、ともかくも日本堤から下ることになる。日本堤は洪水避けに掘った水路の土手で“二本堤”と云っていたのが、“日本堤”となり、吉原通い専用の道となって、その間を“土手八丁”と称した。
 〔猪牙《ちょき》と駕籠《かご》われても末ハ仲の丁〕。猪牙船は柳橋から出る吉原通いの小舟だが、乗り慣れるまでには相当の金を使うことになる。
 〔ひらり乗る猪牙は元での入った奴〕。そこで、小咄だ。
 小粋な兎が柳橋から猪牙船を急がすと、野暮な狸も泥船に乗って大川へ出て、あえなく沈没をした。兎が山谷堀へ着くと、出迎えのお幇間狐が、「兎どの、お手柄、お手柄」と囃せば、兎も興じて、「知れたことよ、こちとら江戸前のうさぎ(鰻)だ」


『落語塾』 第五回

Last modified: Thu May 2 18:31:35 2002