まず『愛宕山』という題の読み方について。愛宕山は東京にも京都にもあり、東京ではアタゴサンと呼んでいるから、アタゴサンが正しいと主張する人がいます。安藤鶴夫氏などは、わざわざアタゴサンとルビを付けていました。ところが、この噺は上方でもアタゴヤマと呼ばれているのです。確かに、京都ではアタゴサンと呼ばれていますが、これは『天神さん』『神津さん』と同じで、サンは頂上にある神社の敬称なのです。山の名はあくまでもアタゴヤマです。
京都が舞台だけに、元来は上方の噺です。文楽はこの噺を、上方にいた三代目三遊亭圓馬から教わって、自分なりに練り上げたのです。登場人物も江戸風にして、粋に描いています。小判を投げるくだりも、上方のは旦那が初めから小判を投げるつもりではなかったのですが、幇間に「大阪の人間はかわらけなど放りません。金を放ります」とそそのかされて、小判を投げなくてはならなくなるという設定です。文楽はこれを、初めから放るつもりで行くようにかえました。
思えばこの噺には、無理な箇所があります。一八が傘にぶら下がって谷底へおりるのは、現実には出来ることではありません。もっと無理なのは、着物を裂いて縄にして、これで竹をしならせて、その力で谷底から舞い戻るところです。この非現実なところを文楽は逆にしぐさを使って、見事な見せ場にしてしまいました。これこそ芸の力です。
酢豆腐というと、酢を使った豆腐料理のようですが、そうではありません。知ったかぶりをする若旦那が、豆腐の腐ったのを苦し紛れに酢豆腐といったのが、題になったわけです。この題から、寄席の楽屋では知ったかぶりをするやつを「あいつは酢豆腐だ」と言うようになり、それが一般社会にも通用するようになりました。最近はあまり使われないようですが…。
文楽の演じる若旦那は、キザで鼻持ちならない人物ですが、これにはモデルがいました。三遊亭圓盛という、明治の後期から大正にかけての売れない落語家です。イカタチとあだ名されていました。背が小さくて頭が大きく、イカが立って歩いているようだと言う意味です。そのくせ二枚目気取りで、鼻持ちならなかったそうです。
古くからある噺で、宝暦十三(1763)年に出た『軽口大平楽』に載っている『酢豆腐』と言う小咄では、すでに酢豆腐と言う言葉が使われています。サゲは「これは素人の食わぬもの」となっています。明治時代までは「酢豆腐は一口に限りやす」のサゲの後に「しかし、これも拙が食するから酢豆腐というものの、君方が食べれば、腐った豆腐だ」と、もう一押ししていました。今のサゲのほうが、すっきりしています。
上方には、これと良く似た『チリトテチン』という噺があり、これも東京に移されて、今も演じられています。また明治の中ごろには、豆腐を石鹸にした『あくぬき』という改作が生まれました。これは三代目三遊亭金馬が、『石鹸』と題してやっていました。
野幇間《のだいこ》という、一定の職場を持たない幇間の悲哀を描いた、名作落語です。文楽には、幇間の出てくる噺がたくさんあります。『富久』『王子の幇間』『つるつる』に、この巻に収録した『愛宕山』と、この噺ですが、出てくる幇間がそれぞれ少しずつ違っています。最後に成功するのは『富久』だけで、あとは失敗ばかりしていますが、中でも一番哀れなのが、この噺の一八です。御馳走になって、祝儀を頂こうとしたのが、相手の分まで払わされる結果になるのですから…。
この噺で、いつも比較にされるのが、文楽と五代目古今亭志ん生です。どちらも名演ですが、志ん生のは、一八が客を取り巻いている前半から、その動作、言葉をおもしろく描くことに徹しています。言ってみれば漫画です。文楽のは、幇間の悲哀の心理描写を主としています。従って、後半の客に振られたあとに焦点を当てています。
実話をもとに出来た噺と言われています。明治、大正のころには、兜町界隈にこういうペテン師がたくさんいたそうです。
Last modified: Fri May 3 21:11:37 2002