レパートリーの広い志ん生ですので、十八番中の十八番を選ぶのは、なかなか難しいのですが、あえて決めれば、やはりこの噺ということになるでしょう。「志ん生の火焔太鼓か、火焔太鼓の志ん生か」と言われたくらいですから。
得意な噺だけに、録音もたくさん残っています。その中で、ここに使ったものは、一、二を争うほどの出来の良さです。笑いが多いばかりでなく、道具屋夫婦の人間性が、良く描かれています。女性上位で、いつも言い争いをしていながら、そこにはほのぼのとしたものがあります。
明治時代に、初代の三遊亭遊三《ゆうざ》がやっていたのを、志ん生が聞いて覚えてたのだと言われます。しかし、遊三の速記を見ると、こんなに面白くはありません。たくさんのクスグリは、ほとんど志ん生が考えたものです。志ん生の創作と言ってもよいくらいですので、志ん生健在のころは、ほかの落語家は遠慮して誰もこの噺をやりませんでした。ストーリーも一部変えています。遊三のは、道具屋が初めから火焔太鼓であるのを承知して買って来るようになっており、サゲの部分も、本当に半鐘を買って来て、小僧が叩いたので、近所で火事だと騒ぎ出すところまでやっています。志ん生のやり方のほうが、優れています。
志ん生が若いころからよく高座にかけ、寄席でもよくやっていました。時間のない時でも出来るので、便利な噺ですが、逆にホール落語のような、時間のある場合にはやりませんでした。
短い噺ですが、志ん生のは前に必ず『強情湯』というマクラがついています。これと、後半の灸自慢の男がしゃべりまくるおかしさが、見事に凝縮されていて、最後にサゲがいかされます。『強情湯』は、「熱い」という言葉を「ぬるい」を置き換えただけなのですが、それがたまらなくおかしいのです。
この噺は、五代目柳家小さんも得意にしています。小さんのは、『強情湯』ではなく、灸一本にしぼり、見せることに重点を置いています。もぐさを腕の上に山積みにして、熱いのを我慢するしぐさや表情が面白く、顔を真っ赤にしてこらえているところなど、いかにも熱そうです。
上方に『やいと丁稚』という噺があります。やいととは灸のことで、この噺が東京の『強情灸』と同じとされていますが、現在上方では高座にかける人がいませんし、速記もみたことがないので、断言はできません。東京の小僧に当たる丁稚が登場し、サゲも「熱かったら払い落としてもええのじゃ」と、東京と違っています。東西で、かなりの違いがあるように思われます。『強情灸』は、東京で独自の発展をした噺とみてよいでしょう。
昔は、『風呂敷の間男』という題でした。内容も艶笑物で、亭主が遊び好きで、何日も家を空けるので、女房が昔馴染みの男を家に連れ込んで、酒を飲んでいるところへ亭主が帰って来てさあ大変、という設定です。 志ん生は、艶笑噺をいかにもそれらしくやるのを好みませんでした。この話も、男はただ茶を飲みに立ち寄っただけだという、ごく普通の長家噺にしています。艶笑よりも嫉妬に重きを置いているのです。 艶笑でなくなった分だけ、志ん生は滑稽味を増やしています。亭主に早く帰ってこられて困った女房と、あにさんと呼ばれている男の会話、それに続くあにさん夫婦の会話は、腹をかかえて笑ってしまいます。 この後、困っている女房の家へあにさんが行くのですが、このように人物の出入りが激しいので、それをしっかりと掴んでおかないと滅茶苦茶になってしまいます。志ん生は楽しそうにやっているようですが、「こんな難しい噺はない」と、生前次のように述懐しています。 「特に難しいのは、ヤマ場である最後のあにさんと亭主との会話です。あにさんは通りすがりにちょっと立ち寄ったかっこうで、始めはもっぱら亭主にしゃべらせ、『おめぇ、どうしたんだい』と聞かれて初めて、あまり話したくなさそうに『わきで少しごたごたがあった』と、ぽつりぽつりとしゃべり出す。亭主はこれに好奇心をかきたてられて、詳しく聞きたがる。そこであにさんはしめたとばかり、風呂敷を取り出して仕方噺に入るのです」サゲも以前は、亭主が「なぁんだ、面白くもねぇ話だ」というものでしたが、志ん生の「うまく逃がしやがった」のほうが優れていると思います。
数多いレパートリーの中で、志ん生が一番好きだった噺は、この『替り目』ではないでしょうか。戦前の金原亭馬生時代から、ラジオ放送でよくやっていましたし、SPレコードの時代に、『元帳《もとちょう》』あるいは『亭主関白』の題で三回もレコードに入れています。また昭和二十四年、高峰秀子が歌う主題歌が題ヒットした『銀座カンカン娘』と言う映画に出演して、最後の部分でこの『替り目』をしゃべっています。ただ、どういうわけかホール落語では、この噺をやりませんでした。志ん生は、寄席、ラジオ向きの噺と、ホール向きの噺を区別していたようです。
志ん生は、実生活で三道楽にひたり、りん夫人にさんざん迷惑をかけています。面と向かってはいばっていましたが、心の中ではすまないと手を合せていたのではないでしょうか。この噺の主人公も同じです。志ん生がこの噺を好きだったのは、夫人への懺悔だったのかも知れません。
なぜ『替り目』という題なのか、志ん生の噺だけではわからないでしょう。実はまだ続きがあるのです。女房をおでん屋へ行かせた後、亭主はうどん屋を呼び込んで、酒の燗をさせ、何も買ってやらない。帰ってきた女房がそれを聞いて、何か買わなきゃ悪いと、うどん屋を呼ぶ。それを聞いたうどん屋、「あの家はいけねぇ。今ごろ銚子の替り目だ」とサゲるのです。このサゲから題がついたのですが、志ん生はいつも途中で切っていました。
Last modified: Fri May 3 21:17:12 2002