左近の寄席なべ

橘左近

 明るく楽しくバブルに沸いた昭和から、元号も平成にかわって早や幾歳。世の中、なかなか良い事ばかりじゃありません。不景気には“お笑い”が強いというのは通り相場。庶民に親しまれる落語のエキスを高座の脇からじっくり吟味しつづける寄席文字書家・橘左近師が、隈《くま》どり筆《ふで》を庖丁にかえて誰も手にしないネタに拘わりオリジナルなべを仕立てました。題して“左近の寄席なべ”。
どうぞお気軽にツツいてみてください。
───── 編集部

席亭・新宿末廣亭

 巨大な都庁の出現で新宿の風が変わった。若者があふれ、原色の氾濫する中に渋みの効いた日本人好みの末廣亭のたたずまいがオシャレな空間として異彩を放っている。
 太字で書かれた噺家名入りの景気幟《けいきのぼり》が微風に揺れる夕刻、提灯に灯りが入り打ち水が反射する頃、太鼓と笛と三味線の音が外にもれ、通りすがりのOLや若者の一団がふと足をとめる。玄関口を見上げると正面上段に檜の板看板に墨黒々と、噺家の名前が36枚、かつては、志ん生、文楽、圓生、柳橋、今輔という巨匠連の名、今は、小さん、小朝、志ん朝の名に変わったものの、このところの旧名復活で往事再来の感じもする。「テケツ」と呼ばれる切符売り場から「モギリ=入口」のお兄さんから半券を受け取って中に入る。
 最近の劇場、シアターの大規模な建物にならされたものには、このこじんまりとした客席は超ミニサイズ。ロビーとか廊下なんてぇものはなく、入ったとたんにすでに高座と向かい合うのだ。初めての客はここでまず息をのむ。とたんに高座から「そろそろお見えになると思ってたンスよ!」なんという三平型のジャブを受けて思わず芸人に向かって最敬礼。
 赤いシートの椅子席を中心に両脇は靴を脱いで畳に座る桟敷席、どちらを選ぶかは勝手次第。居場所が決まれば軽快なお囃子に心はすでにリラックス。平日入れ替えなしの九時間興行、いつ入ろうが出ようがおかまいなし。
 前座から主任《とり》まで約40組が“ご機嫌を伺う”という仕組みは寄席以外にはない。落語の合間に“色物”と称する漫才、奇術、紙切り、講談、曲芸、物まね、音曲など程よく配列して客を飽きさせない。「何にしましても客という生物《いきもの》を相手ですから、こちらも大変」てな強烈なギャグが飛び交って笑いの深淵にいつの間にか浸ってしまう。芸人の好き嫌いは客側の了見(了簡)一つ、年季の入った芸に感服したり、共感したり、笑うはずがいつかは人情の機微に触れ、ついには落涙に及ぶなどという、この侮り難き図は寄席情緒の極み。隣に座った見知らぬ客の笑いの振動に刺激されともにこの笑いの時を体感し合えた親近感で臨席との距離が縮まり肩のぬくもりをほのぼの噛みしめながら、やがてハネ太鼓に送られて夜の街に出てゆく。決して手抜きの許されない生《なま》の芸と、かたや芸人にこびない客との激烈な戦いを繰り広げながら、寄席には全ゆる階層の人達をひとつにしてしまう底知れない活力と粋な大人のエキスがひそんでいるのである。


噺家の紋

 むかしの都々逸に
 『主の来るのを松皮菱《まつかわびし》で かどに今朝まで立ち葵《あおい》』
 この中に二つの紋が組み込まれている。古来より日本人は紋章好きで“家紋”とか“家の紋”“紋所”などといって妙にありがたがった節がある。最も紋の権威の失墜は著しいが、この節、時と場合によっては“菊紋”の威力は失墜どころか復活さえ囁かれる。文様(模様)の集約要素は優れたデザイン感覚と共に、九百年の伝統と六百種に及ぶ紋章の歴史は驚くばかりである。落語の中には“紋日《もんび》”とか“モノ日《び》”という結構な言葉に代表される廓噺から“提灯屋”などに登場する家紋の種類など因果は深い。“紋日”とは五節句なんかの祝日のことで紋付きを着て宮参り、商家は特別ボーナスをはずむことから「モ」つまり金が出るので「モノ日」とも言ったらしくて、渡す側の主人には厄日でもあった。花柳界などは、この日を期してイベントを企画して集客につとめ、吉原なんかの遊郭では女郎たちが“移り替え《うつりがえ》”と称して季節の変わり目に自分の威信を示すために朋輩連中に見栄を張り、スポンサー持ちの酒肴祝儀を配って自己顕示に走りまわり、着物も袷《あわせ》から単衣《ひとえ》に、或いは単衣から袷にと着替えをして祝う風習があり、馴染みの客なんぞに別れ際に着物をかけながら“紋日にまた来てくんなまし……まし、まし、まし”と、右手で肩を抱きの、左手で脇腹ツネツネの、目でウインクのという志ん生型トリプルプレーなどに及ぶ許し難き風景や会話が生きていたことだろうし、“品川心中”に至っては“巻紙も痩せる苦界《くがい》の紋日前”などというお染さんの心の内は、金蔵ならずとも実にどうも馬鹿なべけんやである。
 紋章だの家紋は実に幾多の分野に標識、章、という形でデザイン化され、それなりの表示の対象となっているが、寺紋、神紋、家紋に代表され更に細分化されて芸能紋などに及び歌舞伎の「曽我の対面=庵木瓜《いおりもっこう》」だとか「暫《しばらく》=三升《みます》」など有名なものから各屋号のものなどは長い間親しまれている。文字書きの私も、紋には前々から興味を持っていたので、ある時噺家の家紋を調べ上げるとなかなかの結果が出た。
 師匠ゆずりのもの、一門一統の定紋、まったくオリジナルなユニークなものなど興趣は深い。三遊系の三ッ組橘《みつぐみたちばな》、圓朝系の高崎扇《たかさきおうぎ》、上方桂系の結び柏《むすびかしわ》と三ッ柏《みつかしわ》などである。“芝浜”で売った先代三代目三木助が噺家仲間でやる川柳の会(鹿連会)の席での句に「鉄火場に彩りの悪い五つ紋」と詠んだ。売れない頃“隼の七《ひち》”と異名をとって鉄火場通いを経験してきた三木助ならではの句であったが、例会では普段巧者でない三木助の句だけに拍手喝采、ところが次に作ったのが“着物とは紋が違うので脱ぎにくい”ときた。いかにもおかしい。噺家でないと解らない駄句だといって古着屋通いの売れない生活吟にバカ受けをしたという。生活がすっかり安定した現今の噺家にこの“うら淋しき洒落”がわかるだろうか。因みに数の符牒は有名な紋所で表現されるのも、おもしろい。


噺家の呪い

 春秋、落語界には吉例の如く祝い行事が繰り返されている。その中で襲名披露とか真打ち昇進披露というもので若手が待望の真打認定をされる儀式。“このたびお座亭(席主)各位、並びに協会理事の承認を得まして真打ちに昇進……”とか、“永年の研鑽相成りまして名跡○代目○○を襲名いたすことに成り……”云々。謂ゆる口上書きがある。横45センチ縦22センチ程の和紙に当人の後援者あるいは著名な支持者の推薦文と当人の師匠の挨拶文、さらには協会幹部の名が序列(香盤)順に連名で記されている。文字は墨色の毛筆行書体で、清楚な四つ折りか三つ折りの仕上げでこれが定番。中には天紅《てんべに》と称して上部にピンク系のボカシ、下部にも緑のグラデーションを入れたもの、表紙には定紋の浮き出しやら縁起物にふさわしい熨斗とか南画風の花鳥風月の詩画などあしらった雅味豊かなものから、人気漫画家による似顔絵などそれぞれ千差万別ではあるが、若手真打の門出を祝っての意味から金のかかった見事な口上書きもあれば、味も素っ気もないという代物もたまにはある。以前には、本人後援者の思惑が働き、見栄も手伝って当人の芸をはるかに上回るような刷り物に出くわしたものだが、当節はすっかり影をひそめてしまった。
 紙質が和紙風からか昔は木版刷十二色なんという国宝的逸品もあったというが、今ではオフセット印刷で処理されているから雅趣はない。この口上書きが“寿”と朱文字の入った包装紙に包まれ、名入りの和手拭《にほんてぬぐい》と夫婦扇子《めおとせんす》二本がキチンと疊状《たとうじょう》の袋に入ってワンセット。更に披露祝宴日の通知がこれ又、角丸の金枠付き見開きハガキに書き込まれ、出欠の返信用ハガキとが角封筒におさまり、これらすべてがB4定形外郵便物と名が変わって郵便受けからはみ出すようになって、かなり態度も大きく押し入ってくるのであるが、これを我々は「恐怖の角封筒」と呼んで怖れているのである。他の芸界でも大同小異で方式は似たようなものとされているが、ここで問題なのは受け取った側の祝儀、つまり金子である。私も落語界に在籍して早くも三〇年になるが、当方の稼ぎの如何を問わず、こうした儀式を務め通すのが筋であり、いうところの“義理”という名状し難き戒律の前で苦労を重ねているのが現状。祝儀の金額は時代で違ってきてはいるが、世にいう相場というものは存在するから自分の置かれた境遇とか地位とかに相応した祝儀は出してきた勘定にはなる。しかもお目出度いばかりではない。三〇年間には、大看板、巨匠の死もあれば、叙勲・出版・結婚・励ます会etc、知遇の程度はこの場合基準にないから、まずは総花的なおつき合いということになる。かくして角封筒の恐怖の前で日夜、身を晒され怯えおののくことはいうまでもない
 「女房を質に置いても義理は欠くな」
 私が師匠から教えられた最初の言葉である。「それが辛けりゃ、この社会で息するな」実に明解にして厳しい料簡である。


『新編 古典落語名人全集』

Last modified: Sun Oct 6 10:13:34 2002