| 『くしゃみ義太夫』 | 13:04 | 昭和39年4月4日 文化放送音源 |
| 『七段目』 | 13:41 | 昭和39年4月4日 文化放送音源 |
| 『てれすこ』 | 12:08 | 昭和39年4月4日 文化放送音源 |
| 『社長の電話』 | 22:53 | 昭和39年4月4日 文化放送音源 |
古典と新作の両方をこなし、独特の口調と派手な高座ぶりで人気のあった円歌は、本名田中利助。明治二十四年四月二十八日、新潟市で産まれた。新潟中学校卒業というから、当時の落語家ではインテリである。横浜の貿易商、北海道の京染屋などの職を転々とした後旅回りの芸人となって、勝手に三遊亭柳喬と名乗っていた。巡業中の二代目三遊亭小圓朝にこれを見つけられ、平あやまりをする。これが縁で、プロ転向の決意をし、大正四年に初代三遊亭圓歌に入門した。兄弟子に後の三代目三遊亭金馬がいた。
前座名は三遊亭歌寿美。後歌奴と改名し、この名前のままで大正十年四月に真打ちに昇進する。昭和九年に師名圓歌を襲名して、二代目となった。初代と現三代目圓歌は、正字の「圓」を使っているが、この人は略字の「円」で通した。
新潟訛りと、吃音というハンデを克服するために、歌奴時代から新作を手がけるようになり、兄弟子金馬譲りの「ボロタク」「取次ぎ電話」などで人気を得た。「社長の電話」「空き巣の電話」など、電話物を次々に出して、独特の分野を築く一方、古典も現代に合うように仕立てて、踊りや芝居がかりも取り込んだ派手な高座で大看板となった。昭和三十九年八月二十五日、満七十三歳でなくなった。
得意は前記のほか、「四段目」「将門」「紺田屋」「紋三郎稲荷」など数多く、レパートリーの広さでも傑出していた。弟子に現三代目圓歌らがいる。
くしゃみ義太夫《くしゃみぎだゆう》
「くしゃみ義太夫」という噺は、聞いたことがないが、これと同じような筋の噺は、聞いた覚えがある。という人がかなりいるのではなかろうか。これとストーリーが全く同じの「くしゃみ講釈」という噺があり、そちらのほうが多く高座にかけられている。義太夫を聞きに行くか、講釈を聞きに行くかだけの違いなのだが、義太夫でやったのは、筆者の知る限りではこの円歌だけで、義太夫浄瑠璃の奔馬である上方でも、みな講釈でやっている。義太夫のほうが難しいこともあるだろうが、本来講釈でやることになっている噺だからであろう。
円歌がなぜ、あえて義太夫に変えてやったのかは分からないが、おそらく義太夫が好きだったのと、人と違った形でやってみたかったからであろう。とにかく義太夫の素養がないと出来ない噺だ。
古くは、コショウを買って来てくべるやり方だったという。サゲも「脇からコショウ(故障)が入りました」というものだったが、これでは「棒だら」という噺と同じサゲになるのと、コショウがなくてトウガラシを使うほうが、一ひねりあって面白いので、近年はもっぱらトウガラシが使われている。上方では、以前からトウガラシのサゲだった。
義太夫の間にうまくくしゃみを入れるのが、この噺の難しいところ。失敗すると噺全体がこわれてしまう。
七段目《しちだんめ》
娯楽の種類が少なかった昔は、代表的な娯楽である歌舞伎を愛好するものが大勢いた。好きが高じて来ると、単に見ているだけでは飽き足らず、せりふを覚えて声色を使ったり、自分で芝居のまねをして喜んでいた。こういう連中は、ともすれば日常会話も芝居の口調になりがちである。
数多くの芝居が愛好されたが、その中の一番は、何と言っても『仮名手本忠臣蔵』だった。赤穂浪士の討ち入りを、時代や登場人物の名前を変えて劇化したもので、誰でも知っている芝居だった。単に「四段目」「五段目」と言えば、『忠臣蔵』のそれをさすほどであった。それを題材にした噺が、この「七段目」を初め、「四段目」「五段目」「六段目」「九段目」である。
芝居を題材にした噺は古くからあり、この噺の原形と思われる小咄が、安永五(一七七六)年に出た『鳥の町』に「見舞」と題して載っている。これは七段目ではなく、三段目から落ちたことになっている。まもなく高座にもかけられるようになったと見えて、文化四(一八〇七)年のネタ帳『滑稽集』に「七段目」とあるのは、この噺と思われる。さらに文政十二(一八二九)年に初代林屋(家ではない)正蔵が記した小咄集『たいこのはやし』には、「芝居好」と題してかなり長い噺となって載っている。これのサゲは、「七段目から落ちたのか」「いえ、てっぺんから落ちました」と、現在のサゲとは逆になっている。
てれすこ
最近は、聞く機会が少なくなった噺だが、円歌とその兄弟子の三代目金馬、六代目三遊亭圓生がよくやっていた。「所変われば品変わる(正しくは呼び名が変わる)」とは、昔からよく言われている言葉で、そのせいか、この噺の原話と思われる民話が、古くからある。
鎌倉時代に無住禅師の書いた『沙石集』に、「魂魄の俗事」と題して、この話が載っている。ここでは、魚の名は生の時は「くくるくつ」、干しては「ひひりひつ」と名付けられている。また、落語の祖と言われる安楽庵策伝の『醒睡笑』(寛永五=一六二八年)にも見られ、「ほほらほ」「くくらく」の名が使われている。
民話の中では、この話は全国的に分布している。落語の形に近いのは、長崎県小浜町の民話で、「きんぷくりん」を干すと「かんぷくりん」に変わるとしている。
この噺も、長崎が舞台になっている。魚の名は「てれすこ」「すてれんきょう」と変わっているが、これはどういうところから名付けられたのであろうか。まったく無意味な単後ではない。
舞台が長崎だけに、江戸時代の外来語である。「てれすこ」はテレスコープ(望遠鏡)で、「すてれんきょう」は、ステレオスコープ(立体鏡)だ。テレスコープがつまって「てれすこ」になり、ステレオスコープがステレオ鏡になり、さらに「すてれんきょう」になったと考えられる。
サゲの「ひものだち」は、火物と干物、「あたりめ」は、スルメの意味と当たりめえをかけたものである。
社長の電話《しゃちょうのでんわ》
古典と新作両刀使いの円歌には、新作のヒットも多い。その一つに「呼び出し電話」を初めとする電話シリーズがある。「呼び出し電話」は、円歌の兄弟子に当たる三代目三遊亭金馬が、昭和初年に「取り次ぎ電話」と題して作った噺である。それを円歌が譲り受けて、十八番にした。これが当たったので、誕生したのがこの「社長の電話」で、鈴木みちお作である。このほか、「空き巣の電話」「霊界電話」「電話の錯覚」などができて、電話シリーズが形成された。
江戸時代を舞台にした古典落語と違って、電話のような文名の利器を使った噺は、年月が立つにつれて時代のずれを生じ、古典より通じにくくなる。まだ電話のある家が珍しかったころは、電話のない家の人を呼び出してもらうのは日常茶飯時だったので、「呼び出し電話」がヒットした。ところが今は、携帯電話が普及している時代。近所の人を電話口に呼ぶなどということは、理解できないであろう。この「社長の電話」も、「呼び出し電話」ほどではないが、ずれを感じる。
替え玉に声色を使わせて応対させ、最後にそれがバレるという手法は、古典落語「干物箱」と同じである。「干物箱」の新作版といってよいだろう。金ほしさ、首になりたくない一心で、声色を使う平社員には、「干物箱」の本屋の善公と同じような悲哀がただよっている。
Last modified: Sun Jun 9 15:08:33 2002