| 『目黒のさんま』 | 14:58 | 昭和33年9月14日録音 文化放送音源 |
| 『転失気』 | 14:50 | 昭和33年8月3日録音 文化放送音源 |
| 『権兵衛狸』 | 13:34 | 昭和39年4月1日録音 文化放送音源 |
| 『湯屋番』 | 15:53 | 昭和33年2月2日録音 文化放送音源 |
面白くて分かりやすい落語で、絶大の人気があった金馬は、本名を加藤専太郎。明治二十七年十月二十五日、東京は本所で生まれた。大正元年、講釈師・揚名舎桃李の門に入ったが、講談をやると客が笑ってしまうので、落語家のほうが向いているといわれ、翌年初代三遊亭圓歌の弟子となった。本名の加藤をもじって三遊亭歌当と名付けられ、歌笑で二つ目に昇進、大正八年に圓洲となり、同九年九月、同名で真打ちになった。同十五年四月、金馬を襲名。
昭和四年にニットーレコードから出した『居酒屋』が大当たりして、金馬の名はたちまち全国に知られ、人気者となる。九年に東宝名人会と出演契約、これが寄席組合とこじれて、東宝に出るものは寄席に出さないということになったが、東宝に残り、落語協会を除名された。以後東宝専属から戦後はフリーの道を歩む。戦後はもっぱらラジオで活躍。これらも専属契約を結ばずにフリーだったので、どこの局にも出演し、年間出演回数は常に一位だった。
二十九年二月五日、釣りの帰りに列車にはねられて、左足の先を切断し、以後の高座は前に釈台を置いての“板付き”だった。三十九年夏、弟弟子の二代目円歌の死でショックを受けたのか、急速に衰え、同年十一月八日、七十歳でなくなった。
金馬の落語は、口調がはっきりしていて、登場人物の区別も明快である。それで笑うところが多い。今まで落語を聞いたことがない人でも、たのしく聞けた。文楽や志ん生の名人芸を理解できない小学生でも、金馬の落語だけはよく分かった。金馬のおかげで、落語人口がどれだけ増えたことか。
反面、それがアクの強い高座となって、いわゆる落語通からは、あまり評価されなかった。だからといって、下手だったわけではない。細かく分析すれば、人物描写や間の取り方は非常にうまいのである。だから今聞いても面白く、死語のほうがむしろ評価が上がっている。
目黒のさんま《めぐろのさんま》
落語ファンでなくても、『目黒のさんま』を知っている人が多い。場違いなものをほめるのを「さんまは目黒に限る」という言葉が一般化して、今でも日常会話に生きている。「あいつは目黒のさんまだよ」と、無知なやつをけなしたり、まずいさんまを食べた時に「さんまは目黒に限る」と、皮肉ったりする。中には本当にうまいものを食べさせる店でこれを使って、シラケさせてしまう人もいるが……。
大名をからかった噺は多いが、中でもこれはトップクラスであろう。しかし、その中身は短い。すぐに終わってしまうので、金馬は前に大名の小咄をいくつか付けている。中でお姫様が「夜鷹でも買え」という噺は、上方の「淫売買いや」がもとで、「次の間で淫売買いや」とサゲるものだった。最近は「せんずりでもかけ」と、えげつなくやるようになった。金馬は、放送用に夜鷹に代えたのであろう。
この噺には、いろいろな方がある。金馬はさる大名でやっているが、八代目林家正蔵は、将軍でやっていた。また、明治二十四年五月に出た『百花園』第五十号に載っている禽語楼小さんの速記は、雲州松江の城主松平出羽守が、目黒不動へ参詣に出掛けることになっている。さんまを取り寄せる先も、房州の網元でやっていた。
目黒には、現在爺々が茶屋《じじがちゃや》跡の碑が建っている。JR山手線と目黒川の間にある狭い坂道にあり、今の住所でいうと目黒区三田三丁目に当たる。爺々が茶屋は、地元の彦四郎という者が開いたもので、将軍家光が鷹狩りの折りに立ち寄って、「じい、じい」と呼んだので、この名がついたという。この噺は、このあたりが舞台になっていると思われる。
転失気《てんしき》
知らないくせに知ったかぶりをする人間は、落語には絶好の登場人物だ。第三者的に眺めると、滑稽なことがたくさんあるからである。知ったかぶりをする者と、何も知らない無学者とが会話をするパターンが一番多く、『やかん』『浮世根問』『千早振る』などがこれに入る。また、知ったかぶりの者に、豆腐の腐ったのを食べさせてからかうのが『酢豆腐』『チリトテチン』で、聞いている客も、知ったかぶりがやり込められるのに溜飲を下げている。
この噺は、知ったかぶりの和尚をからかう『酢豆腐』型ではあるが、初めは和尚が物知りだと信じていた小僧が、途中で実は何も知らない人だと気が付き、それではからかってやろうという気になるあたりが独特だ。
転失気という言葉は、金馬は噺の中で『傷寒論《しょうかんろん》』という書物に載っていると言っている。(『傷寒論』については、語句豆辞典参照)この本を確認していないので、真偽のほどは分からない。聞くところでは、嘉永三(1850)年に出た朝川善庵著『善庵随筆』に、転失気の語義が載っているというから、漢方医の用語だったことは確かだ。
サゲの「ブウブウ」は、酔って管を巻くこと。ブウブウ言うのを管を巻くというようになったのは、糸を巻く木管の音が、ブウブウと鳴るところから来ている。
金馬は、和尚も医者も関西なまりでやっている。金馬にしては珍しい演出だ。
権兵衛狸《ごんべえだぬき》
「狐は七化け、狸は八化け」と言っても、今は誰も信じないが、昔、それも明治時代に、狐や狸は人を化かすと、本気で思っている人がかなりいた。江戸時代にさかのぼると、さらに多かったはずである。だから、狐や狸が化かす噺も、架空のものとしてではなく、ごく当たり前のこととして聞かれていた。
金馬が噺の初めに言っているように、狐は人を化かすが、狸は自分が化けて見せるとされていた。狸が化けてみせる噺は、数多い。中には、『お若伊之助』のように、人間に化けて悪事を働くものもあるが、多くは愛嬌者である。品物に化けて愛嬌をふりまく『狸の札』『狸の鯉』『狸賽』などがおなじみで、この噺の狸も、愛嬌者である。
狸ばかりではない。相手役の権兵衛も、お人好しである。狸汁にして食おうと言っている男も、ごく普通の村の衆で、悪さは感じられない。のどかな農村の、ほのぼのとした光景が浮かんでくる噺だ。
上方では『とんとん権兵衛』というそうだが、この題の噺にお目にかかったことがない。かなり前になくなってしまったようだ。
江戸小咄に原話がある。正徳二(1712)年版『新話笑眉』に載っている『僕が作意は御無心の種』、宝暦二(1752)年版『軽口福徳利』所収の『狐の返報』で、どちらも狸ではなく狐の話になっている。後者は、髪結床の若い者に額の毛を抜かれた狐が、後日やってきて、「今度は襟を抜いてくれ」と言うものである。
話の中で「前田のクラッカー」という言葉が出てくるので、何だろうと思われるであろう。これは金馬が文化放送でこの噺を放送したときの、番組のスポンサーの商品だ。金馬がサービス精神を発揮して、シャレに入れたものである。
湯屋番《ゆやばん》
落語に出てくる若旦那には、あまり立派な人物はいない。この噺のほか、『紙屑屋』『船徳』など、道楽の末に勘当されて、出入りの職人の家に居候をしているような者ばかりである。居候をしていても、なかなか改心しない。この噺の若旦那も、湯屋へ奉公するのは形だけの改心で、性根は遊び人のままである。
居候という言葉も死語になりかけており、最近はとんと見かけなくなったが、明治時代にはたくさんいた。それだけ昔の人は、面倒見がよかったのであろう。それでも、歓迎はされなかったようで、居候を題材にした川柳がたくさんあるのも、その証拠である。「居候三杯目にはそっと出し」から、「居候亭主の留守にし候」まで、話のマクラによく使われているように、居候をよく言った川柳はない。
この噺は明治時代から盛んに演じられていた。俗に初代と言われる三遊亭圓遊に代表される三遊派のは、別名を『桜風呂』という通り、湯屋の名前を桜湯にしていた。これは実在する桜湯の主人が、三遊派の落語家を贔屓にしていたことに由来する。対立する柳派は、同じような理由で日本橋槙町の奴湯を登場させていた。金馬は奴湯を使っているので、柳派のを覚えたものと思われる。
通常の型は、若旦那が湯屋へ奉公に行く前に、おかみさんに満足に飯を食べさせてもらえないのをぼやくくだりがあるのだが、金馬はこれを思い切って省略し、若旦那の発明のくだりを入れている。「太陽族」など、新しい言葉が出てくるのも、金馬の特長だ。
サゲには、いろいろある。金馬の使っている「はだしで帰します」のほか、若旦那の独り言に見とれて「軽石で顔をこすったんだ」や、若旦那が金をくすねたのを見て「この金で飲み食いする気だな」「いいえ、お払いは先方の女がします」というのもある。先方の女とは、若旦那の空想に出てくる女である。変わったところでは、「あなたにお湯屋は勤まりません」「そうですか、じゃ帰ります」といって、楽屋へ引っ込んでしまうのもあったという。
Last modified: Thu Jun 6 20:08:50 2002