| 『文違い』 | 25:35 | 昭和31年10月文化放送音源 |
| 『猫の災難』 | 13:42 | 放送日不明 文化放送音源 |
| 『尻餅』 | 14:01 | 放送日不明 文化放送音源 |
独特の渋い語り口で、通人のファンを掴んでいた可楽は、本名麹地元吉、明治三十一年一月三日、東京で生まれた。天狗連と呼ばれるセミ・プロの生活を送った後、大正四年に初代三遊亭圓右の門に入り右喜松と名乗る。七年三橘と改名、まもなく七代目翁家さん馬(後の八代目桂文治)門下に移ってさん生から翁家馬之助で真打ちになった。さらに六代目春風亭柳枝門下となってさん枝、十三年に春風亭柳楽と改名した。柳枝の死後五代目柳亭左楽門下に転じ昭和十五年六代目春風亭小柳枝、二十一年八代目三笑亭可楽を襲名して、ようやく落ち着いた。
志ん生同様不遇時代が長く、名前と師匠を度々変えている。渋い芸風で、パッと派手なところがなかったからであろう。しかし可楽を襲名してからは、落語通の中にファンが多くなり、特にジャズメンの間では高く評価されていた。昭和三十九年八月に二十三日、六十六歳で亡くなった。
昭和三十年代になって、ラジオの落語ブームがやってくると、可楽も数多くラジオに出演した。そのため持ちネタを増やさなくてはならなくなり、廓噺なども手掛けるようになった。どの噺も、ぼそぼそとつぶやくように無表情で語るのだが、それに何ともいえない良さがあるというファンが多い。亡くなってからも、レコードやテープが愛好されている。
文違い《ふみちがい》
廓噺の一つだが、舞台は吉原ではなく、四宿の中の新宿である。新宿の廓噺は少なく、この噺と「縮みあがり」くらいだが、「縮みあがり」は、八代目桂文治亡き後、聞くことができなくなったので、これが唯一現存の新宿廓噺となった。
この噺が新宿を舞台にしているのは、新宿の廓で実際にあった話をもとに作られたからだという。そういえば、ありそうな話で、よく出来ている。だが、演じるとなると、難しい。女郎、その客二人、眼病と偽って金を借りに来る男と、登場人物が多い上に、その人間を描くだけではなく、心理描写までやらなければならない。聞くほうも、ぼんやり聞いていると人物関係が分からなくなる。じっくり聴こうという客の前でしか、出来ないので、まず寄席では聞けない話だ。
可楽と同じ時代の人では、五代目古今亭志ん生と六代目三遊亭圓生が、この噺をやった。圓生は、きちんとした人物描写で、噺全体の骨格もしっかりとしていた。志ん生は、みんなをしたたか者に描いて、赤裸々な人間模様を見せた。可楽は、二人に比べると地味ではあるが、女郎には一抹の悲哀が漂っており、最後までうぬぼれ通す田舎者の客も、善良な感じがする。
猫の災難《ねこのさいなん》
酒飲みの噺で、相手に飲ませず一人で酔っ払ってしまうところは、「一人酒盛」と同類である。酔っ払いのうまい五代目柳家小さんが得意にしており、五代目古今亭志ん生は、猫を犬に変えて「犬の災難」としてやっていた。犬になると、噺の感じがかなり変わってしまう。やはり酔っ払いの得意な可楽だが、この噺はなぜかたまにしかやらなかった。だから貴重な録音だといえよう。
元来は上方の噺で、明治時代に三代目柳家小さんが東京へ移植したのだが、原話と思われるものが、江戸小咄にある。安永六(一七七七)年に出た『新落噺初鰹』に載っている「初鰹」がそれで、初鰹を半分ほど猫に食べられた男が、残りも猫のせいにしてしまおうと箸をつけると、そばから猫が「ふうふう」──という話だ。
上方のは、無実の罪を負わされた猫がまたやって来て、神棚の前へ座り「悪事災ニャン(難)逃らせたまえ」というサゲである。東京のサゲは、これと違って、隣へどなり込もうと言っているのを耳にした隣のおかみさんが、「猫のおあまりをやったんじゃないか、変なことを言わないでおくれ」と言う。これを聞いた相棒が「どうも様子が変だと思った。隣へ行ってどうするつもりだ」「隣へ行って、よく猫に詫びをしてくんねえ」とサゲる。これは三代目小さんが考えたとも、あるいは四代目小さんだとも言われている。五代目小さんもこのサゲを使っている。
可楽は、サゲまでやっていない。代々の小さんに伝わる型とは少し違って、鯛の頭は猫のおあまりではなく、魚屋にもらうやり方だ。そのために小さん型のサゲは使いにくかったのだろう。
尻餅《しりもち》
昔は、年末に勘定をまとめて払ったので、大晦日になると、貧乏人は金の工面に四苦八苦した。金が出来ない時は、掛け金を取りに来た者をいかに撃退するかを考える。それが庶民の共感を呼ぶので、掛け取り撃退を描いた落語も多い。「掛取漫才」「言訳座頭」「睨み返し」などである。
借金が払えないから、餅をつく金もない。しかし近所の手前、餅をつく音だけでもさせようという苦肉の策が、この噺で描かれている。そこには貧乏と見栄っ張りが同居して、何とも言えない哀しさがある。それを可楽は巧みに描いている。
可楽の時代でも、これほどの貧乏は少なくなっていた。そこで可楽は、前に掛け取るとのやりとりを、かなり長くつけている。これは「掛取漫才」の一部を持ってきたもので、これによって昔の貧乏を少しでも分かりやすくしようという配慮である。
上方からきた噺で、上方では春の「貧乏花見」と、年末のこの噺が、二大貧乏噺となっている。
『柳多留』に「いそがしさぬれ手でけつを叩く音」という川柳が載っている。まさにこれを落語化したもので、江戸時代の小咄に原話が見られる。十返舎一九が享和二(一八〇二)年に出した小咄本『臍くり金』の「もちつき」でな、貧乏な医者が下男の尻を叩くという設定だ。これが文政七(一八二四)年の漢文体笑話本『訳準笑話』では、貧乏世帯の夫婦になっている。文化四(一八〇七)年のネタ帳『滑稽集』に「びんぼう もちつき」とあるのが、この噺と思われる。
上方のサゲは、「あとの二臼は白蒸《しらむし》で食べとくれ」だった。東京では白蒸が分かりにくいので、おこわに変わっている。
Last modified: Sun Jun 9 20:53:41 2002