| 『死神』 | 29:37 | 昭和35年9月文化放送音源 |
| 『藁人形』 | 25:57 | 昭和35年8月文化放送音源 |
お婆さん物を主にした新作落語で、戦後一派を成した今輔は、本名斎藤(のち鈴木)五郎。明治三十一年六月十二日、群馬県佐波郡堺町に生まれた。家は、伊勢崎銘仙の織屋だった。高等小学校を卒業すると上京し、大正二年に上野の松坂屋へ奉公する。知識があるからと、銘仙売り場へ配属された。「純絹ですか」と客に聞かれ「紡績が入っています」と正直に答えたため、客は買わずに帰ってしまった。これを売り場主任にとがめられたので、松坂屋を二十日間で退職し、以後十一件も店を転々とする。いずれも正直すぎるのが原因だった。
大正三年に、初代三遊亭円右の門に入り、右京と名乗る。ここでも一本気なため、師匠の実子小圓右のわがままに我慢が出来ず、兄弟子三遊亭右女助(後の四代目古今亭今輔)の門に移り、大正六年桃輔で二つ目になった。しかし、この師匠にも愛想をつかし、大正八年三代目柳家小さん門下となって、柳家小山三と改名した。十二年に同名のまま真打ちに昇進する。
このころ、三遊亭圓楽といっていた後の八代目林家正蔵とともに、圓朝の直弟子三遊亭一朝から芝居噺などを教わる。同時に二人で落語革新派を起こしたが、失敗した。以後二代目桂小文治の一門となり、昭和六年、小文治の前名桂米丸を襲名する。
米丸襲名前後から、上州なまり克服のため新作落語を手掛けたが、なかなか芽が出ず、十六年に五代目古今亭今輔を継いでも、倉庫番との二重生活を余儀なくされた。新作落語に花が咲くのは、戦後になってからである。
「青空お婆さん」「ラーメン屋」などの新作で活躍する一方で、「藁人形」「もう半分」「死神」「馬の田楽」などの古典でも、味のある芸を披露した。
昭和四十九年から、春風亭柳喬の後を継いで落語芸術協会の会長を務めた。五十一年十二月十日、七十八歳で亡くなった。門下には桂米丸、三遊亭圓右らがいる。
死神《しにがみ》
イタリアのオペラ「クリスピーノと死神」と、グリム童話集にある「死神の名付け親」は、ストーリーがまったく同じだという。このどちらかをもとに、三遊亭圓朝が作った噺とされている。しかし、圓朝自身の口演記録は残っていない。前座のころ、圓朝の口演を一度だけ聞いたとも、あるいは圓朝から「こんな噺もあるんだよ」と、梗概を聞かされたともいわれる二代目三遊亭金馬の速記が、『三遊亭圓朝全集第七巻』(昭和五十年、角川書店)に載っている。
一説によると、二代目金馬より先に初代の三遊亭圓左が高座にかけており、金馬は圓左から教わったのだという。
今輔は、この二代目金馬のを聞いて覚え、柳家小山三時代に得意にしていたという。しかし金馬の速記と比べると、今輔の工夫がかなり加えられている。医者を行者にし、呪文を寿限無にし、八五郎の寿命を八十歳だと死神に言わせるところなどである。さらに大きな違いは、死神が枕元にいると病人は助かり、足元にいては助からないとしたことだ。二代目金馬の速記でも、六代目三遊亭圓生も、この逆でやっていた。今輔がなぜ反対にしたのかは分からない。
圓朝門下の俗に初代と言われる三遊亭圓遊は、改作の達人だったが、この噺にも手を染めている。男を幇間にして、ローソクの火をみな明るくして帰って来る。病人の家では喜んで「一家明るくなりました」「なったはず、今芯を切って来たばかりです」とサゲた。これは別名「誉れの幇間」といい、圓遊の後初代柳家権太楼、三代目金馬、上方では初代桂春団治らがやったが、今はほとんどやり手がいない。
藁人形《わらにんぎょう》
上方では「丑の時詣り」という噺であるが、現在誰もやらない。丑の時詣りとは、憎い相手の人形を藁で作り、神社の神木に毎日長い釘で打ち付ける。三七二十一日の満月の日に、呪われた相手が死ぬとされていた。他人に見られると効力を失うので、丑の時(午前二時)に行った。
上方ではどういう形でやっていたのか、知るすべがないが、サゲは「相手の男が糠屋やさかい」というのだそう。してみると、男にだまされた女が呪っていることになる。丑の時詣りは、本来女性がやるものなので、こちらが原形であろう。サゲの原話と見られる江戸小咄(安永二=一七七三年版『坐笑産』所収の「神木」)も、「私が呪う男は糠屋さ」となっている。
サゲの「糠屋の娘だ」というのも、今は分かりにくくなった。「糠に釘」という、効き目のないたとえをふまえてのサゲなのである。
今輔は、この噺を八代目林家正蔵とともに、圓朝の直弟子三遊亭一朝から教わった。しかし自分なりに工夫をこらしたので、正蔵のとはかなりの違いがある。西念の甥の甚吉に、西念がだまされたわけを話すのは、正蔵では一朝と同じく家主だが、今輔は糊屋の婆にしゃべらせている。お婆さんの得意な今輔らしい演出である。ちなみに、五代目古今亭志ん生は、西念自身がしゃべっている。
終わりのほうが芝居がかりになるのも、今輔の特色だ。この録音は、怪談特集の一つとして放送されたので、芝居がかりが生きている。この部分を作ったのは、野村無名庵という人である。
Last modified: Wed Jun 5 15:58:16 2002