| 『道灌』 | 29:16 | 放送日不明 ニッポン放送音源 |
| 『ろくろ首』 | 24:19 | 昭和39年7月31日東宝名人会実況盤 |
落語家で始めて人間国宝になった小さんは、本名小林盛夫。大正四年一月二日、長野県に産まれ、東京で育った。小学生のころから剣道と絵が好きで、剣士になろうとしたが、体をこわしたためあきらめ、画家のほうもままならないので、それなら落語家になろうと、昭和八年に四代目柳家小さんに入門した。
「おまえは栗に似ているから」と名付けられたのが柳家栗之助。十一年に麻布第三連隊に入隊する。その年の二月二十六日、二・二六事件が起こった。この時、反乱軍に知らないうちに入れられて、警視庁を占領した。その罰の意味もあって、満州(現中国東北部)のチチハルに行かされる。
十四年に除隊して落語界に復帰、二つ目に昇進して柳家小きんと改名した。しかし十八年に再び兵隊に取られ、仏領インドシナ(現ベトナム)に行かされて苦労する。二十一年に復員して三度び落語界に復帰した。
二十二年九代目柳家小三治を襲名して真打ちに昇進、このころから、兵役による遅れを取り戻そうと、必死に噺の勉強をする。その甲斐あって、二十五年に師名小さんを継ぐことができた。
昭和二十年代後半から、ラジオの民間放送が始まって、落語の番組が増え、三十年代になると、ホール落語も増えて、落語ブームがやってきた。この時、一時代先輩の文楽、志ん生、圓生、正蔵、金馬、三木助らと肩を並べて出演し、すっかり大看板の貫禄を身に着けた。
以来四十数年、第一人者として活躍する一方、四十七年に圓生の後を受けて、落語協会の会長に就任し、平成八年八月に三代目三遊亭圓歌に譲るまで、二十四年の長い間その職にあった。平成七年には、落語家として初めての人間国宝に認定された。
その芸風は、三代目、四代目小さんの伝統を受け継ぎ、滑稽噺を主体とした落語の本道を歩んでいる。文楽、志ん生、圓生亡き後、落語界の頂点に立って、古典落語を導いてきた功績は大きい。
道灌《どうかん》
「道灌」とは、太田道灌のこと。教わったことをすぐにやってみせて失敗するという、典型的な前座噺である。
前座噺ではあるが、大看板の師匠も好んでやる噺で、小さんのほか、三代目三遊亭金馬、五代目古今亭志ん生もやっていた。寄席でも浅いところへ上がったり、持ち時間が短かったりすると、よくこの噺をやる。寄席ばかりではなく、放送やホール落語でも、間へはさまって大看板がやっていた。
前座から大看板まで、多くの人がやるので、これほど優劣の差のはっきりする噺も珍しい。この噺をやらせてみると、そのひとが基本的にどの水準まで行っているかがよく分かる。
太田道灌の伝説をふまえた噺で、山吹の里は、日暮里近くの道灌山のあたりだと言われているが、早稲田やその他にもあって、はっきりしない。それはそれとして、兼明《かねあきら》親王の作とされている『後拾遺集』収録の古歌「七重八重花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき」の意味を、この噺は笑いのうちに教えてくれる。この歌を、太田道灌が作ったと思っている人もいるようだが、そういう人にこそこの噺を聞かせたい。むしろ「七重八重……」の歌が、今日知られているのは、落語「道灌」のおかげだと言ってもよいのではないか。
天保四年版『笑富林』に、原話の小咄(無題)が載っているが、次のようにサゲが違う。歌で雨具を借りに来た者を断ろうとした八百屋の亭主、白瓜と丸漬と茄子を並べて「丸漬やなすび白瓜ある中に 今一つだになきぞかなしき」「この中にきゅうりがねえ」「はい、カッパはござりませぬ」
ろくろ首《ろくろくび》
民話にろくろ首の話が合わさって、一席にまとまった噺と思われる。
馬鹿な婿にりっぱなあいさつをさせるため、糸を結びつけてそれを引っ張る回数で答えさせる「糸合図」のところは、岩手県を初め全国各地の民話にある。中には糸を馬鹿婿の男根に結びつけるバレがかったのもあるという。
現在の形になったのは上方噺のほうが早く、万延二年の上方のネタ帳『風流昔噺』に、すでに載っている。
東京へ持って来たのは、小さんの師匠の四代目小さんで、五代目はそれを覚えた。
上方のサゲは、夏だけ養子に行くのを休ませてくれと言って、なぜだと聞かれ「暑い時分には蚊が出るよって、蚊帳を吊りますやろう」「そら吊るわ」「首の出入りに、蚊が入ってしょうがおまへんがな」というもので、桂文枝がこのサゲでやっている。
四代目小さんは「おふくろは、うまく納まってくれればいいがと、いい便りが聞けるのを首を長くして待っている」「そりゃ大変だ、家へも帰れねえ」「どうして」「おふくろもろくろ首かも知れない」と変えてやっていた。五代目は、それを「家へも帰れねえ」で切ってやっている。三代目桂三木助も大阪で覚えてやっていたが、サゲは伯父さんが「そんなことをいわねえでお屋敷へ帰りな。お嬢さんが首を長くして待っている」としていた。
小さんは、ばあやさんという人物の人柄を出すのに気を遣っているという。ろくろ首という言葉もわかりにくくなり、行灯《あんどん》の油をなめるといっても、行灯すら知らない人が多くなったこのごろでは、やりにくくなった噺である。
Last modified: Thu Jun 6 20:07:11 2002