| 『時そば』 | 15:52 | NHK音源 |
| 『花見酒』 | 17:41 | NHK音源 |
| 『粗忽の釘』 | 28:19 | NHK音源 |
独特の流れるようなうたい調子で、若いころから人気のあった柳橋は、本名渡辺金太郎。六代目三遊亭圓生と同じく、子供のころからの落語家である。明治三十二年十月十五日、東京本郷の生まれ。九歳の明治四十二年に、四代目春風亭柳枝(後の春風亭華柳)に入門し、柳童と名乗った。同じころ、後の六代目圓生が圓童と名乗って義太夫から落語に転向している。童のつく子供の落語家が二人出現して、将来はどうなるかと期待を抱かせた。
大正四年ころ、春風亭枝雀と改名、同六年八月、春風亭柏枝を襲名して、真打ちに昇進した。わずか十七歳の真打ちである。このころから人気が上昇し、同十年三月、師匠の四代目柳枝が華柳、兄弟子の小柳枝が柳枝と改名するのと同時に、春風亭小柳枝を襲名した。三人同時の披露なので『三柳の改名』といわれた。
大正十五年二月、六代目春風亭柳橋を襲名した。柳橋の名前は、五代目までは麗々亭だったが、これを春風亭に変えた。以後落語睦会の若手人気真打ちとして活躍していたが、昭和五年十月、柳家金語樓と組んで日本芸術協会を設立し、初代会長に就任した。現在の落語芸術協会で、昭和四十九年まで四十四年間会長を続けた。
戦前は、『うどん屋』を『支那そば屋』に、『掛取漫才』を『掛け取り早慶戦』に改作してレコードに吹き込み、三代目三遊亭金馬とともに時代に適応した落語で人気を博した。戦後は古典中心の高座に戻ったが、NHKラジオの『とんち教室』にレギュラー出演して、全国にその名を知られた。昭和五十四年五月十六日、七十九歳で亡くなった。
『青菜』『碁どろ』『時そば』『星野屋』『長屋の花見』『大山詣り』などを得意とし、独特のうたい調子は、いわゆる落語通には評価されなかったが、和やかな高座で大衆には人気があった。
時そば《ときそば》
金銭上の錯覚を活用した噺である。これには、次に述べる『花見酒』や、『壺算』『千両みかん』などがあり、それぞれ錯覚の仕方が違うが、中で一番知られているのが、この『時そば』である。以前『壺算』の手口を使った外人の詐欺事件があったとき、新聞の見出しに間違って『時そば外人』と書かれたほどポピュラーな噺だ。
元は上方の『時うどん』という噺で、明治時代に三代目柳家小さんが東京へ持って来て、うどんをそばに変えた。『時うどん』は、最初二人で一杯のうどんを食べ、翌日そのうちの一人が単独でやってみるという設定になっている。『時そば』では、二人で行くのを一人にし、それを陰で見ているようにした。
上方から来た噺ではあるが、原話と見られる江戸小咄はたくさんある。最も古いのが、享保十一(1726)年に出た『軽口初笑』巻三の『他人は喰より』で、六文のそば切りを食べるのに五文しかないので、銭を一つ、二つ、三つと数えて払い、「なんどきぞ」「四つでございます」「四つか。五つ、六つ」と数えてやった──というものである。安永二(1773)年の『坐笑産』所収の『あま酒』では、そばではなくあま酒でやっている。
この噺を理解するには、昔の時刻の数え方を知らなければならない。時については、語句豆辞典を参照していただきたい。九つでやるべきことを四つでやって損をするのは、九つの約二時間前に出て来たからで、そこに早くやってみたいという気持ちが現われている。
速記本には、三代目桂三木助のものが多く載っているが、三木助の音は残っておらず、もっぱらこの柳橋の音が聞かれている。三木助は銭を数えるとき、「一つ、二つ」とやっていたが、柳橋のように「ひい、ふう、みい」とやるほうが調子がよい。
花見酒《はなみざけ》
『時そば』と同じく、金銭上の錯覚を扱った噺である。『時そば』は、単なる軽いごまかしであるが、この噺になると、サゲまで行っても錯覚に気が付かない。「してみりゃむだはねえ」と、当人たちは納得してしまっているのである。『時そば』や『壺算』は、最初から相手をごまかそうとしているのに対し、この噺は自分たちだけの錯覚で、何も悪いことはしていない。そして誰もうらんでいない。それだけに、明るい、愛嬌のある噺である。
この錯覚は、自分で消費していることをすっかり忘れて、売り上げばかり考えているところから起こる。一見馬鹿馬鹿しいようだが、似たようなことは世間にありがちで、聞くところによると経済学に『花見酒の理論』というのがあるそうだ。落語も学問に取り入れられれば立派なものである。
この噺、最近は花見時になってもあまり聞かれないが、以前は柳橋のほか、八代目林家正蔵がやっていた。正蔵のは一杯十銭で売ることにし、「二貫の玉持って来て、十銭の釣りをくれという客に釣りがねえとは言いにくいから、十銭貸してください」と、酒屋から十銭借りる。二貫とは二十銭で、二十銭玉のあったころだから明治時代という設定だった。柳橋のは、金を両や貫で数えているから、一見江戸時代のようだが、これは円や銭を俗に言っただけで、社長、会計係という言葉が出てくるあたり、やはり明治時代のこととしている。
粗忽の釘《そこつのくぎ》
粗忽者、つまりそそっかしい人を扱った噺は、たくさんある。『粗忽長屋』『粗忽の使者』『堀ノ内』『松曳き』……。だが、そこに出てくる主人公の粗忽ぶりは、少しずつ違う。あわて者、早合点、聞き違い、忘れっぽい、などなどである。中には、粗忽とは少し違うのではないかと思われるものもあるが、この噺の主人公は、本当に粗忽らしい粗忽者だ。
上方では、『宿替え』という題が使われている。宿替えとは、引っ越しのことだ。東京では、大正時代まで『我忘れ』といった。サゲの「酒を飲むと、我を忘れます」から付いた題である。ところが、このサゲの部分は、いかにも取って付けたようなので、最近はその前の「ここまでほうきを掛けに来なければならない」、あるいは「お宅はここにほうきを掛けますか」で切って、サゲにしている。そうなると『我忘れ』の題は意味をなさないので、『粗忽の釘』の題が使われるようになった。柳橋が本来のサゲまでやっているのは、むしろ以外である。
『我忘れ』のサゲの部分は、江戸小咄に原話がある。文政十三(1830)年に出た『噺栗毛』に載っている『田舎も粋』で、田舎者のおやじがうろうろしている。土地のものがたずねると、茶屋に女房を忘れてきたという。みんなが笑うと、女房を忘れたくらいで笑うな、あの駕籠かきを見ろ、我を忘れている──という内容だ。
現在は、原話の部分をやらなくなったというのは、噺の変遷としては珍しい。
Last modified: Thu Apr 25 14:51:11 2002