| 『青菜』 | 12:22 | 昭和38〜39年頃録音 文化放送音源 |
| 『甲府い』 | 12:51 | 昭和38〜39年頃録音 文化放送音源 |
| 『親子酒』 | 11:14 | 昭和38〜39年頃録音 文化放送音源 |
| 『石返し』 | 11:46 | 昭和38〜39年頃録音 文化放送音源 |
独特の渋い語り口で、通人のファンを掴んでいた可楽は、本名麹地元吉、明治三十一年一月三日、東京で生まれた。天狗連と呼ばれるセミ・プロの生活を送った後、大正四年に初代三遊亭圓右の門に入り右喜松と名乗る。七年三橘と改名、まもなく七代目翁家さん馬(後の八代目桂文治)門下に移ってさん生から翁家馬之助で真打ちになった。さらに六代目春風亭柳枝門下となってさん枝、十三年に春風亭柳楽と改名した。柳枝の死後五代目柳亭左楽門下に転じ昭和十五年六代目春風亭小柳枝、二十一年八代目三笑亭可楽を襲名して、ようやく落ち着いた。
志ん生同様不遇時代が長く、名前と師匠を度々変えている。渋い芸風で、パッと派手なところがなかったからであろう。しかし可楽を襲名してからは、落語通の中にファンが多くなり、特にジャズメンの間では高く評価されていた。昭和三十九年八月に二十三日、六十六歳で亡くなった。
昭和三十年代になって、ラジオの落語ブームがやってくると、可楽も数多くラジオに出演した。そのため持ちネタを増やさなくてはならなくなり、廓噺なども手掛けるようになった。どの噺も、ぼそぼそとつぶやくように無表情で語るのだが、それに何ともいえない良さがあるというファンが多い。亡くなってからも、レコードやテープが愛好されている。
青菜《あおな》
夏になると、よく聞かれる噺で、現在東京でも上方でも演じられている。元は上方であるが、東京のは上方色が全く感じられない。ごく自然な形の江戸長屋の噺になっている。
主人公の植木屋は、ぼんやりしているところを旦那に見つかって、とっさにいいわけをするあたり、なかなかの者だが、それが後半自分の家に帰ってからは、よく落語に出てくる人まねをして失敗する人物になってしまう。前半と後半で、噺の雰囲気も人物像もがらりと変わる珍しい噺である。それだけに、その矛盾を感じさせないようにやらなくてはならないので、かなりの技量を必要とする。
サゲの「弁慶」は、上方では人にごちそうになるのを弁慶というので、その意味も多少含まれているのだが、東京では通じないことなので、無視してよいだろう。
甲府い《こうふい》
別名を「出世豆腐」といった。この題のほうが内容をとらえているのだが、平凡すぎるのか、最近は全く使われなくなった。落語の題は、いくらか変わっているほうが通用するようだ。
落語には珍しく、勧善的、教育的な噺である。特に日蓮宗には喜ばれそうだ。だが一方で、「甲府い、お参り、願ほどき」というサゲのための制約がたくさんある。甲府の人間でなければならない、身延山を信仰する日蓮宗信者でなければならない、がんもどきをごま入りと売らなければならない、などである。この制約を間違えたら、サゲは成立しない。それだけに神経を使って演じる必要がある。
この噺を得意にした八代目春風亭柳枝は、伝吉を腰の低い、丁寧な言葉を使う人間として演じた。それに比べると可楽のは、田舎から出てきたばかりの人間として描いている。それぞれ演者の個性が出ていて面白い。
親子酒《おやこざけ》
元はサゲの部分だけの、小噺ていどの短いものだった。東京では、明治になってからも短かったようで、三遊亭圓朝の速記を集めた「圓朝全集」にも、「親子の生酔い」の題でこの噺が載っているが、小噺扱いにされている。
上方にも古くからこの噺があって、江戸とは別に長編化していった。上方のほうが先に長くなったようで、明治の末に東京ではそれを参考にして、一席に延ばしたと考えられる。
東京のは、聞いて分かる通り、長くなったといっても、落語としては短いほうである。上方のは、もっと長い。それは、倅が外でうどん屋によって飲むくだりが入っているからだ。この部分は「うどん屋」という噺と重複するので、東京ではやらない。
酔っ払いは可楽の得意とするところだが、特にこの噺では、親子の酔い方を巧みに演じ分けている。
五代目柳家小さんもこの噺をよくやっているが、これは可楽が教えたものである。可楽は代わりに小さんから「にらみ返し」を教わった。可楽はこの噺を先代(七代目)の可楽から教わり、七代目は三代目小さんのを受け継いでいる。間に二人の可楽を挟んで、小さんに戻ったわけだ。
石返し《いしがえし》
「甲府い」の場合と同じく、サゲの割れない別名「鍋屋敷」がついているのだが、こちらの題はさっぱり使われない。落語の題は、サゲの言葉を使ったほうが通用するようだ。
サゲが割れるといっても、今はその心配はなくなった。割れるどころか、石返しが何の洒落なのかも分からなくなっている。説明しておくと、これは石返しと意趣《いしゅ》返しの洒落なのである。意趣返しとは、遺恨を晴らすことだ。
幕末の乱れた世には、商人から品物をただで巻き上げたりする、悪辣な武士の行為が横行した。この噺は、それに対するせめてもの「意趣返し」であり、町人に喜ばれたが、現在はその意味も薄れた。近年では可楽と、五代目小さんがやったくらいの珍しい噺になってしまった。
Last modified: Mon Jun 10 13:58:45 2002